稲作民俗の源流   Folk customs of rice growing in the world  

インドネシア・トラジャ民家    
  舟形屋根の高床式住居                                               

 インドネシア・スラウェシ島の中部山岳地帯,標高800メートルに位置するサダントラジャは,四方を険しい山に囲まれている.古くからトラジャ人がインドシナからこの地に住み着いたと言われているが、外部との交流が少なく彼らの文化・宗教は独自の発展を遂げた.

サダントラジャは、スラウェシ島の中央に位置し、農業を中心とした文化や色々な風習を持った精霊信仰が今も残っている。
特に葬送儀礼は、巨石文化をともなった来世への旅立ちとして盛大行われる。
一方、農業を中心とした豊穣儀礼新築儀礼などの生の儀礼は、死者を神霊化させ祖霊となった神を、この世に再生させ幸福をもたらす作用をはたしている。
 彼らは死を悲しむべきものと見倣さず,新たな世界への旅立ちと考えている.そして,盛大な葬儀を行うことで死者の来世での幸福が約束される、と考えている。
裕福な家の葬式となると1週間、普通の家でも3日間にも及び,闘鶏,闘牛,踊り,音楽などが連日連夜行われ村を上げての儀式が執り行われる。(下記の写真を参照)



     トラジャの民家で
        行われた葬送儀礼

サダントラジャ の 住 居 ・ト ン コ ナ ン
 中央セレベスの山岳民族サダン・トラジャ(SADAN・TORAJA)は、トンコナンと呼ばれる棟持柱のある船形屋根の高床式家屋に居住している。割竹を幾層にも葺いた巨大な舟型屋根と、周囲に彩色彫刻を全面に施した外壁をもち、前柱には儀礼のたびに犠牲に供した一番大きい水牛の角が飾りつけられ、その数の多さで家格の高さを誇示している。
 トンコナンは必ず北向きに建てられているが、これはサダン・トラジャが北を神聖な方位と見なしているためである。
 床下は通常、水牛の畜舎とされている。トンコナンは、これに居住する一家族だけのものではなく、これを建てた祖先のすべての子孫のものと考えられており、いわば親族統合のシンボルでもある。
 ンコナンに極似した住宅様式は、アッサムのカチン(KACHIN)族や、スマトラのトバ湖の周辺にあるバタック(BATAK)にも良く似た高床式家屋がある。

    舟形屋根の高床式穀倉

トラジャの建物(舟形屋根の高床式住居と穀倉)

トラジャの建物は,住居を「バヌア・スラ穀倉を「アラン・スラ」といい、両端の屋根が大きく反り上がりコレヲささえる棟持柱のある船型の高床式である。
屋根は,孟宗竹を割って数十層に積み重ね、周囲の壁面は水牛(富と権力)や鶏(神の使い)それに太陽(太陽崇拝)や蛇(農耕神)などの文様を描いた彩色彫刻が見られる。
これら文様は、各種儀式に用いられており「アルック・ト・ドロ」という祖先伝来精霊信仰とともに、固有の文化として今も引きつがれている。
この棟持柱をもつ船型の高床式建物は、奈良の「唐子・鍵遺跡」出土の土器や、佐味田宝塚古墳出土の「家屋紋鏡」、それに中国の普寧石寨山遺跡出土の「銅房屋模型」、滋賀の「下鈎遺跡」「伊勢遺跡」で見つかっている。

   
    彩色彫刻 スラ

崖上に穴を掘り造った風葬墓
 祖先崇拝と結びついて、祖先を形どった像を作ることは、トラジャ民族のあいだに広く行われている。サダン・トラジャ(SADAN・TORAJA)は、その代表格である。
 葬式に際して、故人を形どったタウタウと称する等身大の椅子に座った人形を作り、葬儀場ではトンコナンの前にこれを設置する。タウタウは、一本の木や大きい石を彫刻して、案山子風に作り、美しい衣服や装身具をまとわせる。葬式後は、家に持ち帰って解体したり家の前に置いたりする。
 しかし岩壁の高所に造った風葬墓の入口にも、棺を納めたのちに、その正面に故人をあらわす木偶を立てる。この人形はネラア(NELAA)と呼ばれ、タウタウと同様に衣服をまとわせ、故人をしのぶよすがとされる。

旅のガイド・・・

日本からトラジャへ行くのは、大変です.バリに一泊して翌日午前中,スラウェシ島のウジュンパンダンまで飛行機でいき(1時間)さらにトラジャまでバスで8〜9時間という長い旅となります.
トラジャへの日本からの大手旅行会社ツアーはありません.自分で飛行機とバスを乗り継ぎ,現地でホテルを見つけ個人旅行をせねばなりません。かつては、スラウェシ島のウジュンパンダンから小型飛行機が毎日1便飛んでいましたが現在は週1便が出ているようです。
しかしインドネシアは、乗客が少ない時は飛ばない場合が多いので当てになりません。


上記内容の詳細は、下記の本で御覧になれます。

 2001年2月下旬に、「稲作民俗の源流―日本・インドネシアー」
として出版。目次は、ここをクリック!
題名『稲作民俗の源流―日本・インドネシアー』自費出版!


稲作の起源,定説の「アッサムー雲南起源説」から「長江起源説」が有力!?
  この地帯から,5,000年から7,000年前の確実な稲作遺跡が相次い
  で発掘されたからだ。なかでも有名なのが折江省の河母渡遺跡です。

 <参考>
 稲作の起源地については,定説の「アッサムー雲南起源説」が疑わしくなり,最近は楊子江中・下流域一帯を起源地とみる「長江起源説」が有力となってきた。
この地帯から炭化米が見つかり,5,000年から7,000年前の確実な稲作遺跡が相次いで発掘されたからだ。なかでも有名なのが折江省の河母渡遺跡。
7,000年前の膨大な籾とともに鋤なども出土し,DNA分析で中国最古の稲作とみる動かしがたい証拠となった。
 この説を述べたのは、佐藤洋一郎氏ですが・・・。私は、この河母渡遺跡や湖南省の5,000年から7,000年前と言われる遺跡を見てきました。しかし、むしろ日本の神社などで古代米として栽培し続けている赤米・黒米の方がはるかに古いと思っています。
 私の宝物でもある現地で収集してきたインドネシアのトラジャやバリ島それに中国少数民族、インド、ネパールなどの貴重な赤米・黒米などを、佐藤氏がDNA分析するというお約束をされたので2002年11月末頃に沢山の種類をお送りしましたが2年10ヶ月たった未だに結果を頂いていません。
 どうだったのでしょうか。その後佐藤氏が出版された本『イネが語る日本と中国』を買い求めましたが赤米・黒米のDNAによる分析結果についてについては何も述べていませんでした。
 都合が悪くなったので連絡頂けないのか?、分析出来なかったのか?、どちらでも又どんな理由でも良いのですが・・・。今までの数回にわたるメールでの問い合わせにも未だ2005.09.24現在何の連絡もありませんのでホームページで公開させて頂くことにしました。


上記のサダントラジャの行事は、下記の本で詳しく紹介されています。

「アマゾン」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4892593745/qid%3D989599708/249-6037261-0581962

かつては、下記のホームページでも紹介されていました。
「ヤフーショッピング ー民間信仰リンク集」 「紀伊国屋」 「ヤフーブック」 「丸沼書店」 
「歴史全般リンク集」 「朝日ネット」「喫茶店・京童」 「神奈備掲示板」「新着図書情報画面(岐阜県図書館」


 「稲作民俗の源流      世界遺産インド」へ 
 『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺” (その1)
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