同志社の原点
新島襄は133年前の日本において、「良心」と「自由」にみたされた学園を開拓する一方で、高尚な志の大切さを訴え続けました。
新島襄の志
新島襄(1843〜1890)は、21歳で幕末の日本から密出国して渡米しました。人びとが奴隷扱いされ、息苦しい封建社会に束縛されることに我慢ができず、自由と人権を求めての冒険でした。
留学中、キリスト教徒となった新島は、しだいにひとつの夢を膨らませました「自由」と「良心」に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも、という夢です。
10年振りに帰国した新島は、さっそく京都に同志社英学校を創立しました。同志社とは、「志を同じくする者が創る結社」です。その原点は、もちろん新島の志です。
英語の校歌も「ワン・パーパス」です。これも「ひとつの志」、「同じ志」、すなわち「同志」を意味します。
「自由」と「良心」をベースに
新島の夢は、「良心」と「自由」に満たされた学園と社会の実現です。彼は、日本が自由で民主的な近代国家になるためには、・人ひとりの借陛と人格が十分に尊重されることが、大事だと考えました。だから、同志社においても彼は生徒一一人ひとりの人格を尊重しました。生徒はかけがえのない「同志」でした。
新島は「遺言」の中でも、「学生を丁重に対応すること」を教職員に望みました。この遺訓は、今も本学では大事に守られています。
志の実現には200年
未完に終わった新島の遺志は、教え子たちなどによって引き継がれ、死後22年にしてようやく同志社大学が実現いたしました。
生前、新島は勝海舟に「大学の完成には200年」と答えています。すでに創立130年以上を経た本学ですが、いまでも新しい学部や専攻の設置を始め、先端的教育・研究体制の整備や充実、組織の改編などに積極的に取り組んでいます。まだまだ発展途上の学園だらです。
これからも、教職貝や卒業生はもちろん、学生一人ひとりが、同志社の「原点」である新島の志を中軸にした「同志」となって、彼が目指した大学の完成をめざします