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エジプト egypt        小泉芳孝 

 エジプトの歴史は、紀元前3000年にさかのぼる。ここは四大文明発祥の地であるナイル川が流れ
その恩恵をうけてきた。 

エジプトといえばと、我々日本人にとって憧れの地とされています。しかし、この地を踏みしめるには、
少なくとも8日間の休暇を取らねばなりません。
この為、私もかなり前から行きたいと思っていました。この度、サラリーマン勤続30周年の慰安休暇を
利用して大枚をはたき行ってきました。                                       

                          
 以下はその記録です。何分にも今から5000年前の歴史をたどるのですから、簡単にはいきません。
ただ感想を述べますと、日本とよく似た人間の「再生・復活」の思想や「神官」がいたということです。
神官は、王につかえ定期的に儀式をして、国を統治する役をしていました。
また、各時代によってピラミッドや神殿など色々なものが少しずつ変化しています。
1970年頃までは、ナイル川の洪水を利用して行われていた農業が、上流のアスワンダムと
アスワン・ハイダムにより、農業の形態が変わり、都市化による産業が発達しました。
現在エジプトは、イスラム教徒がほとんどで、一日三回、聖地に向かって礼拝する人達を街で
見かけることが出来ます。特に早朝の4時頃になると、拡声器の大きな礼拝の音声が街中に響き
渡る音で目がさめます。

現在の首都カイロは近代都市ですが、その丘の上に三大ピラミッドが聳え立っています。
このピラミッドは、クフ王のピラミッド・カフラー王のピラミッド・メンカウラー王のピラミッド・ 女王のピラミッド・貴族のピラミッドがあります。 カフラー王のピラミッドには、長い参道があってその先にスフィンクスがあり、ひの横に儀式など をする神殿が今も現存しています。
 少し足をのばしてサッカ―ラまで行くと、さらに古い時代のジョセフ王の「階段ピラミッド」 があります。
またダフシュールには、クフ王の父にあたるスネフル王の「屈折ピラミッド」や「赤のピラミッ ド」があります。

       カイロの三大ピラミッド

 人力だけで造り上げたピラミッドは、何のために造られたのかということです。今までピラミッドは王の墓で、
奴隷が重労働を強いられていたと言われてきました。しかしこの説はいまや学会で疑問視され、ピラミッドの建築は、
農閑期に行われた公共事業だったと考えられています。労働者らは、報酬をもらい働いていたと言われています。
 紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスは、自著で、クフ王のピラミッドをエジプトの神官が「王の墓だと言った」と記して
いるのでこれが定説となっていました。石棺内には、ミイラが無く石の箱だったようで、王墓説は否定されています。
 それならば王墓は、ルクソール西岸の王家の谷、王妃の谷なのでしょうか。

 

   ギザのピラミッド
 ギザのピラミッドには、現在入口が2ヶ所あり上が完成当時の入口で、下が盗掘された時に
明けられた入口である。現在見学の入口は、下の盗掘口から入っている。
 ギザの3つのピラミッドのうち最大のクフ王のピラミッドは、820年にアル・マムーンが盗掘
に入った際に開けた入り口をそのまま使っているという。
 謎の建物の内部は、観光用に照明がともされいても薄暗く蒸し風呂のような湿度の高さです。
狭い階段を上がり、大回廊を抜けると、10分程度で中央の王の間に到着します。壁には2カ所の
空気穴があります。発掘された時は、王のミイラがなかったと言われています。ゆえに王妃が
埋葬されていたかは定かではようです。何の目的で作られたのか、ピラミッドの謎は現在でも
謎とされています。

 ルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿
ルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿は、数年前に観光客が銃撃され沢山の犠牲者が
出た所である。
 エジプトの観光地を歩いていると、機関銃を構えた数人の軍隊?が方々にいて監視している。
このハトシェプスト女王葬祭殿にも、沢山の軍隊が四方に配置されていて異様な雰囲気であるが
一応安心して見学することが出来る。しかし銃撃の爪あとが残っていて、ニ階へ通ずる階段は、
現在修復中で一回のみの見学しか出来なかった。

<最新情報> 
 何年か前にハトシェプスト女王葬祭殿において観光客が銃撃される事件がありました。この為
エジプト国内には、銃を構えた兵士が観光地を巡回したり、高い所で監視をしていますので安全
といえるでしょう。郊外へ行く観光バスには、機関銃を持ったセキュリティーの人が乗車し緊急
事態に供えています。また、カイロ空港からギザのピラミッド近くへのホテルへ行く観光バスは、
沿道の警備が整い、空港から出る全ての各種ツアー観光バスの出発準備が出来てからでないと
出発しません。

     ミイラを作っている壁画

上記の壁画は、アヌビス神がミイラを作っている所です。
エジプトでの人達は、死者ガ再生・復活すると考えてい田。このため死者をミイラにして現世と変わ
らぬ身体で生活出来るように家具や食べ物などの副葬品が納められた。
このため葬祭儀礼はミイラ作りからはじまった。上記の壁画は、横たわっている死者を、ミイラに
しているところであり、中央の真中にある四つの卵型の入れ物は、死者の内臓を入れる「カノプス壷」
という入れ物です。

   死者の内臓を入れる「カノプス壷」(カイロ博物館)

「カノプス壷は、ミイラを作るときに取り出された内臓を入れる壷で、材質は石と陶器がある。
上部の蓋には、人間と守護神形で作られている。

   ミイラの棺(エジプト考古学博物館)

 カイロにあるエジプト考古学博物館には、エジプト国内で発掘された貴重な遺物が展示保存
されている。
この中には、ツタンカーメンの秘法やラムセス二世のミイラそれに沢山の棺などがある。
エジプトは、博物館などほとんどの場所で写真を写すことが出来ますが、事前に撮影チケット
を買い求めておかないと入口でチェックされます。しかし、展示物の保存の為にストロボは一
切使用出来ませんので高感度フィルムを入れておかないとほとんど映りません。また二台の
カメラを持って入りますと2台分を払わないと注意されます。スチールカメラは、10〜15
ポンド程度ですがビデオは100〜150ポンドと非常に高くつきます。

 ツタンカーメンの黄金のマスク (エジプト考古学博物館)

ツタンカーメンの墓は、近年「王家の谷」で発見されましたが、小規模な墓であったため
1922年の発見まで盗掘されずに残っていました。
現在、このツタンカーメン墓の墓は、誰でも見学できますが、ここは一切撮影禁止のため
入口でカバンの中までチェックされます。
上記のマスクは、22金で作られた少年王のマスクで、頭にはハゲワシのネクベト女神と
コブラのウアジェト女神が飾られ、このニ神は上エジプトと下エジプトをあらわしていて
上下のエジプトを統一した王であることを証明しています。

貴族の墓
 ルクソール西岸の王家の谷、王妃の谷は観光客も多く有名なのですが、その手前に貴族の
墓があります。この貴族は、日本の神官と考えられます。
 歴代の王や王妃の墓に比べてと、規模も小さく目立たないため観光客はいきません。しかし壁画
に描かれているものは、古代エジプトの生活や習慣などが見られます。残念ながら私は、貴族の墓
に行く事が出来ませんでしたが、カイロ博物館や本でその一部を見ることが出来ました。

 ルクソールやアブ・シンベルは、大変暑いため長時間にわたる見学をすることが出来ません。
そのため色々見学しようとすると体力が消耗します。昼間を避けて早朝に出かけられることをおすす
めします。 


  アスワンダム

上記の写真は、ナイル川の上流にあるアスワンダムで、このダムのおよそ3キロほど上流に
アスワンダム・ハイダムがある。このダムは、日本にあるような谷間にあるのではなく
広い原野に作られていて、大きい堤防といったダムです。
 工事はソビエトの技術者により造られたもので、ここから得られた電力は、エジプト国内の
電力をまかなっていて一部は外国にも輸出されているようです。   

    アブ・シンベル小神殿

アブシンベル(アブシンベル大神殿、小神殿)
 至聖所にはプタハ神、アメンラー神、ラーハラクティー神とともに神格化されたラムセス
U世の像があり、年に2度だけ太陽の光が射し込むように設計されています。
 この神殿は、アスワンハイダムの建設でナセル湖に一部水没することになり、そこで
ユニセフが中心になり60mほど上に移築されました。
この像の奥には高さ80mのドームがあり、その内部に神殿の内部が再構築されています。
隣には、妻ネフェルターリのために建てたといわれる小神殿があります。

   ルクソールのカルナック神殿

ルクソール(カルナック神殿、王家の谷)

 ルクソールは、人口約10万人ほどの街ですが、かつてテーベと呼ばれ古代エジプトの首都でした。
ルクソールのナイル川東岸は生者の街で巨大な神殿があり、一方、西岸は死者の街ネクロポリスと
呼ばれていました。人々は太陽の沈む西にあの世があると考え、王家の谷や貴族の墓が西岸に
作られた。
 カルナック神殿は1000年以上もの間、時のファラオにより増改築が繰り返されてきた。
内部にはラムセスU世の像とハトシェプスト女王のオベリスクそれにトトメスV世の祝祭殿など多く
の建築物がある。
壁や柱には、古代象形文字でファラオ自身の姿や業績などが刻み込まれていて、パピルスをかた
どった134本の柱は、ラムセスU世によって作られた。
 神殿でもっとも印象的な構造は、大列柱室の柱が林立する部分で、かつて大列柱室には天井が
ありましたが地震で崩れ落ちたようです。
カルナック神殿の最も奧には、トトメスV世の祝祭殿があり、色鮮やかな天井が残されています。
明るい青を基調に、真っ赤な太陽、それを運ぶ黒いスカラベが見られます。

旅のガイド
 ここは、カイロと違い赤道直下となるので摂氏40度から45度もあり大変暑い気候ですのでペット
ボウルを持って顔に覆いをして直射日光を避けてください。また長ズボンで歩いて下さい。半ズボンは
絶対お薦め出来ません。うそと思われる方は、現地で実験して見て下さい。
 特に王家の谷は、周囲に建物が何もなく喉がカラカラになります。その時は、サイダーやラムネ?
などの炭酸飲料を飲むと生き返りますよ。 現地で売っています。
 また、絶対に王家の谷(墓の中)で写真を撮ってはいけませんよ。現地の監視員が見張っています
のでガイドまでしっかり説教されますのでくれぐれも注意して下さい。

    カルナック神殿のオベリスク

 古王国の時代は、王様の死後も現世同様に死後の世界でも同様に生活すると考えられていたため、
巨大なビラミツドや墓が造られました。ビラミッドには莫大な量の副葬品が納められていたため、財宝を
狙う墓泥棒が盗掘して副葬品などすべて持ち去られてしまった。
 新王国の王たちは、これらの盗掘から逃れるため自分達のミイラを埋葬する墓は、ルクソールの山の
谷間の岩をくりぬいてつくり、埋葬を行う葬祭殿と墓地とを分離させました。ここが「王家の谷」です。
また王は同時に神々を祀る神殿を造営しました。
 このように最初は、ビラミツドを造っていましたが、その後は神殿や葬祭殿の建築へと移っていき、巨大
な神殿が建てられるようになりました。

 神殿は、神が宿り住む家とされ、大きな石材で造られています。(上記の写真参照)新王国時代に建造
された神殿のスタイルは、ホルス神殿で、沢山の柱に囲まれた中庭があり、神殿の中に入ると柱が立ち
並ぷ列柱室がある。
神殿の奥には至聖所があり、そこに神像を祀る祠と祭壇が置かれ神の船が安置されていた。そして至聖
所の周囲には小さな部屋があって、儀式に使う祭具が収められていた。
 現在これらの部分に屋根はありませんが、当時は列柱室かち至聖所まで屋根に覆われていて、神殿内
部の両側にある階投から上に登ることができた。ハトホル神殿には、現在もこの階段が残っている。
 神殿の中へは、王と神官以外入ることは許されず、神像と神の船を祀る至聖所には、王と最高位の神官
のみが入って儀式が行なわれ「王を神」としてたてまつられた。

<一言メモ>
 夜になるとピラミッドや神殿内で、観光客用に「光と音のショー」が行われていますが、日中の暑さがまだ
残っているため大変暑くてぐったりしますので余りお薦め出来ません。
 私は、ルクソールのカルナック神殿の「光と音のショー」へ頑張っていきました。しかし説明がフランス語の日
だったため内容がチンプンカンプン?あげくのはて延々と神殿内を歩かされぐったりし石の上で寝転んでい
ました。一緒に言った仲間も、同様に不満を述べていました。「光と音のショー」は、2時間近くあったでしょうか
何の変化もなくただアチコチサーチライトや電気が灯るだけでした。
 どうしても見たいと思われる方は、カイロで行われているクフ王のピラミッドの方をお薦めします。
カイロの方の暑さが比較的緩やかなのと、ショーにも少し工夫が施されているからです。しかし私は、途中
で退屈してしまい日中の厚さと疲れで途中から寝てしまいました。        


エジプト・アラブ共和国の世界遺産(1974)
メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯,1979,
古代都市テーベとその墓地遺跡,1979,
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群,1979,
イスラム都市カイロ,1979,
アブ・メナ,1979,


日本ユネスコ協会連盟」 http://www.unesco.or.jp/
TBS−tv世界遺産 http://www.tbs.co.jp/heritage/
アジア写真館 http://www.mars.dti.ne.jp/~taguchi/index.html
世界遺産資料館 http://homepage1.nifty.com/uraisan/index.html


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『竹取物語』研究所(竹取の翁・かぐや姫) 小泉芳孝
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