"かぐや姫の里”京田辺竹取翁
博物館 2012年2月オープン!! (京阪奈学研都市町づくり・交流会) 展示品:竹取物語の舞台となった山本駅跡や筒城宮、月読神社 「かぐや姫」に関連するもの。日本や世界の民俗・考古資料等。 特色:古民家を再生利用!! 土蔵や古材生かした内装!! 設立目的: 国民の教育、学術、文化発展に寄与する。Taketori okina Museum 『ふるさと史跡探訪マップ』 三山木周辺“歴史散歩コース” 京田辺市郷土史会「出版部会」 京都府南部の京田辺市は、古くから栄えた地域である。しかし、私たちが学校の歴史の中で学んだものの中には殆んど出てこない。 京田辺市には、山崎神社に伝わる縄文時代の石棒をはじめ、卑弥呼の時代の「高地性集落」、また渡来人がもたらしたとされている『古事記』奴理能美の家の養蚕や多々羅の鉄製造、大筒木垂根王之女の迦具夜比売命や大住隼人らの『竹取物語』の里、継体天皇の「筒城宮」に関連した古墳などがある。 また、奈良から平安時代にかけては、古代交通路の官道筋として「山本駅」が設けられたり、木津川の水運による物資の輸送などがある。 社寺仏閣においては、延喜式内社の神社も多くあり、お寺においては普賢寺の観音寺や一休寺、寿宝寺などがある。明治の廃仏毀釈以前までは、現在の三倍もの寺があったようである。 これら京田辺市内の歴史や文化財を市民の皆さんに知ってもらい、また気軽に散歩できる道しるべのような地図を作ることにした。 今回は、三山木周辺の山本区「寿宝寺」、飯岡区「古墳群」、同志社大学「筒城宮」周辺を一日で歩ける“歴史散歩コース”を取り上げる。
三山木周辺“歴史散歩コース” 近鉄京都線「三山木駅」・JR学研都市線「JR三山木駅」→山本集落→寿宝寺・山本駅の碑・佐牙神社の御旅所→駅鈴出土地・条里制と山本駅の石碑→佐牙神社「上の大神宮・下の大神宮」→飯岡古墳群→咋岡神社→木津川・飯岡の渡し場跡→穴山梅雪墓→西方寺→田辺天神山遺跡・筒城宮跡伝承地・同志社大学歴史資料館・下司古墳(同大構内)→近鉄京都線「三山木駅」・JR学研都市線「JR三山木駅」 近鉄・三山木駅をスタートして少し歩くと「山本」の集落がある。中世の環濠集落と見られる民家横の小川沿いを東に進み、左折すると寿宝寺にたどりつく。門前の右手に「和銅四年設定山本駅旧跡」と書いた碑が建っている。 この付近は、大宰府へ続く古山陽道の山本駅が設置された場所で「鈴・荒馬・道中・桜田」などの地名があり、また府道を少し東へ行き右折すると駅鈴の出土地などもあって古代のおもかげが残存している。 その農道を北に進むと小高い丘が前方に見え、この丘陵一帯は、飯岡古墳群といい継体天皇に関係する人達の墳などがある。飯岡古墳群の頂上には、薬師山古墳があり石仏が祀られていて、この高台からの眺めは京都市内を始め京田辺市一帯を一望に見渡すことが出来る。 すぐ近くには、ゴロゴロ山古墳、弥陀山古墳があり、東に少し下った所に飯岡東原古墳がある。さらに木津川堤防まで下ると飯岡の渡し場跡の石碑や用水路を作った豊田翁の碑がある。 少し下った所を左手に進むと飯岡集落の咋岡神社が見え、その右手を下ると「トヅカ古墳」と「塚古墳」がある。トヅカ古墳からは、「神人車馬画像鏡」などの鏡が出土している。
元きた道を戻りさらに西に進むと右手に飯岡車塚古墳があり、左手の飯岡墓地に穴山梅雪の五輪塔墓がある。また、右手の坂を登っていくと西方寺がある。この寺は、袋中上人が念仏強化のため各地を巡錫した時、瓶原より木津川を下りこの地を訪れて一宇をひらいたといわれている。 この付近から西方を望むと高台には、同志社大学の近代的な建物が見え、その右後方の頂上に甘南備山が見える。 最後の訪問予定地の同志社大学までは、少し距離がある。田んぼの畦道か普賢寺川の堤防道を歩いて行くと高木集落があり、正覚寺と南山義塾跡を巡って行くことができる。同志社大学の正門につくと、後方の田辺天神山遺跡、門を入った右手の継体天皇「筒城宮址伝承地」を巡り、また同大歴史資料館に寄って、同大名誉教授の森浩一氏らが発掘した多くの遺物を見学するといい。時間があれば大学構内の南側丘陵地に保存されている下司古墳群も一見の価値がある。これら学内にある遺跡は、教材として生かされていて、広く一般市民にも公開されている。 また、神功皇后神話に興味のある人は、近鉄京都線「興戸駅」・JR学研都市線「同志社前駅」へ行く途中に「鉾立杉」があるので寄ってみるとよい。
京田辺市郷土史会 小泉芳孝
三山木周辺“歴史散歩コース”の飯岡古墳群は、前期の飯岡車塚古墳、中期の薬師山古墳、ゴロゴロ山古墳、弥陀山古墳、トヅカ古墳、後期の飯岡東原古墳、飯岡横穴と古墳時代を通じて多くの古墳がある。 山城町で発掘された鏡として椿井大塚山古墳の「三角縁神獣鏡」が有名であるが、京田辺市の「トヅカ古墳」からは、銅鏡3面「神人車馬画像鏡」「神人歌舞画像鏡」「変形一神四獣鏡」、句玉・菅玉、馬具など多数が副葬品として出土している。この「神人車馬画像鏡」などは、明治七年頃に発掘されていて京都国立博物館に現在展示されている。このうち「神人車馬画像鏡」の内区には、絶世の美女として知られる道教の神仙・西王母と従者、四頭立て車馬と二頭立て車馬出行、山岳などの画像がみられるほか、銘文に「□氏作鏡四夷 多賀国家人民息・・・(以下略)」が記されている。 西王母と東王父は、中国の神話上の中心的人物とされ、西王母は不老不死の薬をもって永遠の若さを保ちながら人の世の生命を司っているとされている。
この鏡について同志社大学講師の中村潤子氏は、 古墳の年代が五世紀頃で直径二十メートルの円墳とされ、出土した「神人車馬画像鏡」「神人歌舞画像鏡」は、中国の三国時代(魏呉蜀)二世紀から三世紀の後漢時代のもので中国山東省の墓石にある浮き彫りに似ている、と説明された。(平成十二年「いま南山城の古代史がおもしろい」シンポジウムのメモから)
また、昭和五十七年の『田辺町埋蔵文化財調査報告書 第三集』によると、径二十メートル高さ三、五メートルの円墳で葺石・埴輪とともに存在。副葬品に鏡三面、勾玉二、管玉・小玉多数、鹿角製装具付刀剣、馬具(轡・杏葉)。鏡は踏み返し鏡の「神人車馬画像鏡」「尚方作神人画像鏡」と?製鏡の「変形一神四獣鏡」の三面。築造年代五世紀後半。と記されている。
以上のことから、私は「神人車馬画像鏡」について次のように考察した。
この鏡とほぼ同じ中国の「神人車馬画像鏡」(画像を参照)は、後漢の後半に揚子江流域で制作された鏡とされ浙江省紹興出土の伝承を伴うため紹興鏡といわれている。鏡の内区は、鈕を中心に円座乳で四分割され、上下に西王母と東王父、左右に騎馬と車馬が描かれている。中国の神話に登場する西王母は、西の崑崙山に住む不老不死を与える神仙で、東王父は配偶者として考案され、それぞれ脇に侍者を従えている。車馬は四頭立てで、車輿の上に傘蓋をつけ後方に乗車した人物の顔がみえ、騎馬は疾走している。 また中国の「神人車馬画像鏡」の銘文には、 「田氏作意四夷服 多賀国家人□□・・・(以下略)」 とある。(画像と銘文を参照) 鏡内に描かれている画像「西王母」は、二世紀始めの後漢時代になると東王父と西王母の男女対になってニ神に分かれて陰と陽に分かれた。これらの画像は、不老不死の神仙思想を銅鏡に表していて死者を悪霊から守る意味があったようで人間世界の理想郷でもある。画像は、仙人修行を終えた者が崑崙山に棲む西王母のもとへ免許状を受けるため数頭立ての馬車に乗って会いに来たところで、馬車を伴った対面シーンが描かれている。
これとほぼ同じと考えられるトヅカ古墳出土「神人車馬画像鏡」(二十二.六センチ)は、手法が後漢時代墳墓の表飾とした畫象石に似ていると言われている。この鏡の内区は、鈕を中心に円座乳で4つに区分され、上下に脇侍を伴へる西王母と東王父の~像を置き、左右の二区の一つに馬車二つを現し、その上部は二頭の馬がこれを引き、下部の馬車は三頭の馬がこれを引いて互いに相反する方向へ走り、相対する一区には人物を乗せる馬四頭とこれに付属する一頭をあらわしている。そして、外区は銘帯、櫛歯文帯、唐草文帯に分かれ縁に続いている。 「□氏作鏡四夷 多賀國家人民息 胡慮殄滅天下復、風雨時節五穀孰 長保二親得天力、傳告後世樂無亟、乗雲驅馳參駕四馬、導從群~宜孫子公」 とあり、作者名が「□氏作鏡・・」と一字判明せず、又「夷」の後「服」の字が抜け、文章全体は吉語を書き、中国鏡と前半部分は同じである。 一方、トヅカ古墳出土のもう一枚の「神人歌舞画像鏡」(直径十九.九センチ)の銘文には、 「尚方作竟自有紀 辟去不羊宜古市、上有東王父西王母 令君陽遂 多孫子兮」 とあり、西王母と東王父が明記されていることから、神仙思想にみち溢れた古墳といえる。
また、「神人車馬画像鏡」(直径二十一.四センチ)が出土した京都府岩滝町の岩滝丸山古墳は、直径三十メートル高さ四メートルの円墳で築造年代も五世紀初頭、遅くとも五世紀前半を下らない時期と考えられている。この鏡の内区は、鈕を中心に円座乳で4つに区分され、相対して西王母と東王父の~像を置き、また別に相対して三頭の馬が車馬を引くのと、双竜を現している。そして、外区は銘帯、櫛歯文帯、唐草文帯に分かれ縁に続いている。 鏡の銘文には、 「田王作□四夷服 多□□□□民息 胡虜殄滅天□復、風雨時節□□熟長保二親」 とあり、「田王作・・」の「王」が「氏」なら、トヅカ古墳の銘文とそっくり同じである。
ところで右に紹介した中国の紹興鏡が発掘された場所は、紹興酒で有名な所で最近この近くの河姆渡遺跡で七千年前の炭化米(ジャポニカ米)が出土した。この炭化米のDNA鑑定結果によると日本の炭化米と同じことがわかり日本と中国との関係が注目されている。ここは、平成十三年のNHK特別番組「日本人はるか アジアの稲作」でも紹介されるなど、このあたり一帯は、高床式住居が用いられ灌漑用水の整った江南地方の代表的な水田稲作地帯で、日本と同じのどかな田園風景が広がっている。ここ紹興は夏王朝創建者の陵墓があり玉器・土器・石器・銅器や養蚕・竹器・漆器がつくられた長江下流域の良渚文明が起こった所である。
以上のことから、トヅカ古墳から出土した「神人車馬画像鏡」は、画像や銘文から中国浙江省の紹興鏡とほとんど同じで二世紀後半の後漢後期に中国で製造され日本に持ってこられた舶載鏡と考えられる。この二世紀後半といえば、邪馬台国の卑弥呼が景初三年(二三九)魏に使者を送った時より数十年ほど前であり卑弥呼が魏の国から賜わった銅鏡百枚との関係でも注目されるべきものである。 また古墳の年代が五世紀頃となっているが、はたして誰の古墳であったのか。五世紀といえば履中・反正・允恭天皇の母の磐之媛(仁徳天皇の皇后)がみられ、これらに関係した人物とみられる。しかし『田辺町郷土史 社寺編』の筒城郷佐賀庄咋岡全図によるとトヅカ古墳は、「石姫皇女丘 俗字 地崇山」と記されている。石姫皇女は、欽明天皇との間に敏達天皇をもうけていて西暦五百三十九年頃なので六世紀中頃となり、古墳の推定年代(五世紀後半)と数十年のずれがあることになる。
参考文献 『田辺町埋蔵文化財調査報告書 第三集』編集・発行 田辺町教育委員会 昭和五十七年 『京都府史蹟勝地調査曾報告 第二冊 大正九年三月』 京都府 一九二〇 『京都府文化財調査報告 第二十二冊』「舞鶴切山古墳」樋口隆康 京都府教育委員会 昭和三十六年 『史想第十三号』 「京都府与謝郡岩滝町丸山古墳発掘調査に参加して」 杉原和雄 京都教育大学考古学研究会 昭和四十二年 『埋蔵文化財発掘調査概報(一九七〇)』京都府教育委員会 一九七〇 『仙界伝説〜卑弥呼の求めた世界〜』大阪府立弥生文化博物館 一九九九 『中国歴代銅鏡目録』 中国杯境科学出版社 『田辺町郷土史 社寺編』 編集者 村田太平 田辺郷土史会 昭和三十八 『鏡と古墳』編集・発行者 京都府立山城郷土資料館ほか 一九八七
この原稿は、京田辺市郷土史会の機関紙第74輯『筒城』2002年3月30日発行に掲載。
山城は古くから文化の栄えた所です。京都地名研究会では、南山城における『記紀』や『万葉集』などの古代地名や人名について、研究者をお招きして「秘められた南山城の地名を探る」を開催することとなりました。このシンポジウムにより南山城の古代地名を明らかにすることにより先進的な地域であったことがわかるのではないかと考えています。 日本語と日本文化の起源を知るには、地名への関心が一つの大きな意味を持っています。文献の記録をもとに、土地の伝承に耳を傾け、南山城の古代地名を明らかにしたい。
開催日: 平成15年10月19日(日) 時 間: 午前10時〜16時30分 場 所: 京田辺市立中部住民センター メインホール(収容人員200人以上) 〒610−0311京都府京田辺市草内美泥22−2 0774−64−8810 <交通アクセス> JR片町線 新田辺駅・近鉄京都線 新田辺駅下車 1.近鉄バスターミナルより 京阪宇治又は奈良交通バス(約8分)「草内口」下車すぐ 草内行き8:30 9:00 9:30 2.JR新田辺駅より東へ徒歩約18分・近鉄新田辺駅より東へ徒歩約15分 3.自家用車の方は、国道307号線 山城大橋の東側(駐車場30台) ■来聴歓迎(事前申し込み不用)、小冊子資料代:会員無料、非会員500円(当日徴収)
10:00〜 10:10 総合司会:地名研究会 糸井道浩 (入口でシンポの質問用紙配布) 開会あいさつ:主催 京都地名研究会常任理事 共催 京田辺市郷土史会会長 【基調講演】 10時10分〜12時30分 10:10〜11:20「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“息長”の地名を手がかりとして―」 塚口義信 堺女子短期大学 学長 (日本古代史・文化人類学) 11:20〜11:25 休 憩 11:25〜12:05「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事 (日本民俗学 郷土史家) 12:05〜12:30 「南山城の神社と伝承について」 石田天祐 日本語語源研究会 潟Mルガメシュ(幻想創作家 相撲史研究家) 休憩12時30分から13時20分(昼食・シンポの質問用紙回収) 周辺食事出来る所少なく弁当持参して下さい。
【シンポジウム】 13時30分〜16時30分 テーマ「秘められた南山城の地名を探る」 「つぎね代と河内との関係」−地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える− 吉田金彦 日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授 予定パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑 斎藤幸雄 シンポジウムの司会 古川 章
シンポジウムの予定項目 途中の休憩でシンポの質問用紙回収 1.神功皇后伝説と“息長”一族それに継体天皇「筒城宮」 2.南山城の古墳(椿井大塚山古墳・佐紀古墳群・飯岡古墳群) 山代の古墳出土鏡と被葬者は? 三角縁神獣鏡 神人車馬画像鏡 3.『古事記』に記す山代の地名・人名・祭神 「山代内臣」「山代大国之淵」「山代内臣之祖」 4.『竹取物語』にちなむ地名「山本驛」「筒城」「山崎」「甘南備山」「三室戸」など 7.山代・山背・山城、筒木・筒城・綴喜、山代川・和訶羅河・輪韓河・泉川(河)・木津川など 質疑・応答 16時15分から16時30分 京都地名研究会事務局 綱本逸雄から連絡事項の報告 閉会あいさつ:京都地名研究会から 懇親会:17時30分〜 事前申込者のみ 主催:京都地名研究会 共催:京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内 0774-62-9550 後援:京田辺市教育委員会、葛椏s新聞社、京田辺市観光協会、かぐや姫の里を考える会、 協賛:関西元気文化圏参加事業 (「関西から文化力 POWER OF CULTURE」ロゴマーク使用)
問合せ先 ○京都地名研究会事務局 ○日本語語源研究所 広報係 小泉芳孝
【基調講演の内容】 テーマ「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“息長”の地名を手がかりとして―」塚口義信
古事記や日本書紀それに風土記などに記されている神功皇后伝説や息長氏、あるいは応神天皇や継体天皇などの古代天皇を研究している塚口義信氏から「古代山城南部の歴史」、特に「南山城の“息長”一族」についてお話ししていただく。塚口氏によると、神功皇后の系譜や伝承は、滋賀県坂田郡の息長氏が有力になる6世紀以前から山城南部の“息長”一族によって伝承されてきたものであり、この一族は息長帯比売の陵墓伝承のある、大和三大古墳群の一つとして有名な佐紀古墳群と深い関わりを有しているという。京田辺市にある普賢寺の山号は息長山であり、朱智神社の祭神「山代之大筒木真若王」(「山代」「筒木」に由来する名前)をはじめ神功皇后の系譜に山城南部の地名に由来する名が多く登場する。これは、山城南部の“息長”一族がこの伝承を語り伝えてきたからであり、6世紀初頭に継体天皇が筒城宮に来たのも、この一族と近江坂田郡の息長氏が継体を支援していたからである。 “息長”“綴喜”“高木”“綺田”などをはじめとする南山城の地名を手がかりに、神功・応神伝承の謎を解き明かすとともに、4〜6世紀における山城南部の政治集団とヤマト政権(畿内政権)との関わりについて考察していただく。 塚口氏紹介−堺女子短期大学 学長、文学博士。1946年大阪府生まれ。専攻:日本古代史・文化人類学。関西大学第一高等学校・第一中学校教諭、関西大学講師など歴任。主な著書『神功皇后伝説の研究』(創元社)『ヤマト王権の謎をとく』(学生社)『古代王朝をめぐる謎』(学生社)『三輪山の古代史』(学生社)『三輪山の神々』(学生社)『古代天皇のすべて』(新人物往来社)など。
テーマ 「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝 京田辺市に伝わる伝承や社寺の本源記、それに個人が持っている古文書を見ていると。実に古く神代の時代のことが多く書かれている。 これらの内容が何時の時代に、どのように、どういう意図を持って書かれたのか今まで解からなかった。ところが最近、堺女子短期大学の塚原義信学長の著書『やまと王権の謎をとく』などを読んだ時、今まで何となく目にして来た地元に伝わっている伝承や、古文書などに書かれていることが私の頭の中で繋がり、『古事記』に記す「山代之大筒木真若王」「大筒木垂根王」や、『日本書紀』に記す「筒木の韓人、名は奴理能美」「仁徳天皇の歌と磐之媛の答歌」それに、その後の出来事などが私の頭の中で具体的なイメージとして浮かび上がってきたのである。 それとともに最近、京田辺市郷土史会で取り組んでいる『竹取物語』かぐや姫の里“京田辺”の『古事記』垂仁記に記す「大筒木垂根王之女、迦具夜比売命」も架空の人物でなく「筒木」(筒城・綴喜)に居住していた人で、大筒木垂根王は筒木を舞台に活躍した実在の人物であったことがわかった。 また、延喜式内朱智神社の祭神や息長山普賢寺それに甘南備山、継体天皇の「筒城宮」などから、『竹取物語』ゆかりの筒木が山代地域において重要な位置を占めていることに気付いた。これらについて私なりの考えを述べてみたいと思います。 小泉氏紹介−京田辺市郷土史会理事、葛椏s放送勤務。1947年京都府生まれ。近畿大学法学部法律学科卒業、佛教大学文学部史学科卒業、専攻:日本民俗学・郷土史。京都民俗学談話会会員、京都府立山城郷土資料館友の会。主な著書『稲作民俗の源流−日本インドネシア』(文理閣)。主な投稿『竹取物語“かぐや姫の里”京田辺』京田辺市郷土史会編・『京都民俗』京都民俗学談話会会誌・『筒城』京田辺市郷土史会報など。
テーマ 「南山城の神社と伝承について」 石田天祐
私は、南山城に関する記紀神話や万葉集それに祭神など言語学の分野から迫ってみる。現代の山城における地名は、古代日本語・やまとことば・中国語・古代朝鮮語・満州語などあらゆる分野の言語から分析しないと解明できない。各地の地名や人名それに祭神などについては、派生語や母音交替形・同音同義などから言語や語根を解読していかなければならない。 それらの中から南山城における各種神社の伝承について地名や祭神がどのようにかかわっていたのかお話しする。特に継体天皇や仁徳天皇と渡来人との関係や、歴史上は神話とされている神社の祭神など言語学から見た南山城の歴史を述べる。この地域は、歴史上かなり古くから栄えていたところであり一般の歴史書には記されていない。しかしここには古くから南方や中国大陸それに朝鮮半島から渡来人が住み着き神功皇后や息長足姫に関係する地名や伝承が残っている。 石田氏紹介−潟Mルガメシュ代表。1943年静岡県生まれ。京都大学文学部言語学科卒業、同大学院修士課程終了。相撲史研究家・幻想創作家。日本語源研究会・総合文芸誌「まほろば」編集長。著書『イグドラシルの言語学 −やまとことばの源流を尋ねて』『義留我明主の言語学 −続やまとことばの源流を尋ねて』(ギルガメシュ出版)・『忽然の人』(ギルガメシュ出版)・『マルドゥクの怒り』(ギルガメシュ出版)・小説集『風と馬と』(現代企画室)など。
【シンポジウム冒頭コメント】
テーマ「つぎねふ山代と河内との関係」−地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える− 吉田金彦
京田辺市域の地名を調べて山代と山背の国名の由来を知り、奈良のほかに河内との関係が深いことを考えた。 そして枕詞ツギネフの意味も地名山代・山背の意味に即して決定することができる。伝承時代である仁徳天皇は、淀川・木津川を経て筒城入りした。また継体天皇は、河内の国から山越えで山背にやってこられた。それらは地名で推理することができるのである。 吉田氏紹介−日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。1923年香川県生まれ。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授、姫路独協大学名誉教授。著書:『日本語語源学の方法』(大修館)、『古代日本語をさぐる』(角川書店)、『古代日本語を歩く』(弘文堂)、『京都滋賀 古代地名を歩く』T・U(京都新聞社)、「ことばのカルテ」(創拓社)、「埋もれた万葉の地名」(東京堂)など。
パネリスト 「流域をめぐる史跡・伝承」 斎藤幸雄
木津川をめぐる歴史や文学(古代〜近代)にこだわり、ロマンを求めてその伝承や史跡を探訪してきた。そういう中で多くの「南山城逃避行」現象を見いだした(古代より近世の徳川家康・熊沢蕃山にいたる)。磐之媛などもその一人である。市辺押磐皇子の遺児顕宗・仁賢天皇もそうだが、継体天皇もその視点で見ると面白いのではと思ったりしている。 また古伝承を、「水」を視点にしてとらえてみるのもその謎を探るうえで面白い。田辺の神功皇后不違池伝説、精華町の船長伝説、山代大国之淵の娘綺戸辺にまつわる亀石伝説、武埴安彦・忍熊王・莵道稚郎子等々。その背後に水系氏族の息長氏・和珥氏が介在、葛城氏や丹波の氏族もかかわる。 専門研究家ではないので、南山城の歴史ロマンを楽しむ立場からシンポシウムに参加できたらと思っている。 斎藤氏紹介−緑と教育と文化財を守る会(城陽市)副会長、枚方文学の会会員、1937年旧満州国生まれ。京都教育大学第二社会学科卒業、大阪府公立中学・高校に在職した。専攻:日本中世史(平家物語)、著書:『木津川歴史散歩』(かもがわ選書)、『続・木津川歴史散歩』(かもがわ選書)、『やましろ歴史探訪』(かもがわ出版)。枚方文学の会会誌『法螺』に「木津川歴史散歩」を連載(今は宇治川に視点を移している)。また古典文学を読む三つのサークルに所属し、平家物語や太平記を読み続けている。
シンポジウムの司会 古川 章
洛南艸舎文庫『洛南艸舎手づくり消息』を主宰し、第43号を数える。京田辺市役所で37年勤務し、今まで『京都府田辺町史』『田辺町郷土史社寺編』『田辺町近代誌』『田辺町近世近代資料集』の刊行。京田辺市郷土史会の『筒城』などの編纂や事務局を担当した。 今回シンポジウムの司会を担当することになり郷土史の素晴らしい歴史を各分野の専門の先生方や郷土史家の方たちと共に研究できることを嬉しく思っている。
「新しい視点と展開に期待」
南山城地方は、近畿の中心地であり、加えて関西学術研究都市として20世紀は脚光を浴びた。そのため開発も著しく進み、考古学の分野や市町村史誌の刊行による古文書類の発掘なども進んだ。しかし、21世紀は、大陸からの渡来人の足跡など、黒潮文化の解明を深めなければならないと思われる。こうしたとき「秘められた南山城の地名を探る」は、自宣を得たテーマといえる。 バネラーの諸先生方の新しい視点として南山城のこれまでの南北軸文化に加えて、東西軸文化の幕開けにふさわしいシンポジウムであろう。 古川氏紹介−洛南艸舎文庫主宰。1937年京都府生まれ。立命館大学文学部卒業、専攻:日本文学。歌人・エッセイスト。主な著書『田辺郷土史なんやかんや』『南やましろの綴喜』共書、『京のかくれ話』(同朋舎)
■冊子の販売について タイトル 別冊<シンポジウム>「秘められた南山城の地名を探る」 発行 平成15年10月19日 下記のE−mailでお申込下さると共に下記の郵便振込 講座番号に1500円をお振込ください。 ========== 切取り線 ============ 切取り線 ==== E−mailで申込下さい。先着順です、売り切れの時はお許し下さい。 1500円(本代+郵送料+封筒込み)を下記の郵便振込 講座番号へお送りください。 『郵便振込』 講座番号 00920-7-40389 加入社名 小泉芳孝 つながらないリンクや不明な内容のページを発見の時、
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