開始:平成15年7月開設

  『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺(その1)  
 
“かぐや姫の里”は、京田辺               

  『竹取物語』かぐや姫の里は、やはり”京田辺”だった!  「かぐや姫の里」ビデオ動画講座
           
     
○はじめに

  古事記には、第9代開化天皇の孫「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)」
 とその娘迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)」の名が記されています。

 ○「竹取物語」“かぐや姫の里”京田辺

 かぐや姫(迦具夜比売命)の父である大筒木垂根王は、その名前から京都府
京田辺市の普賢寺(朱智荘)・興戸・飯岡・三山木(佐賀荘)の村々を合わせた
「大筒木郷」の地方の長でと思われ、「竹取の翁」と推定できます。
あるいは山本の駅家の長や佐牙神社の太夫の一人とも考えられます。また、
「垂根」とは「竹の根」をさし、「筒木」の「筒」は竹を、「つつき」は
月を連想させます。

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 京田辺市三山木山崎の山崎神社所蔵の古図には、大筒木垂根王の居館と思われる
「大筒城佐賀冠者旧館地」(現在の近鉄京都線三山木駅の少し南寄り)が記され
ています。
この地域では、戦前まで多くの人が竹細工をおこなっていました。また、近くの
同志社大学京田辺校地には、第26代継体天皇の「筒城宮(つつきのみや)」
伝承地もあり、「筒城」の名が出てきます。この「筒城」は、京都府綴喜郡の
「綴喜」の元の地名です。
 竹取の翁の名を「讃岐の造(さぬきのみやつこ)」と現在はいわれていますが、 最初は「さかきの造」と呼ばれており、三山木の佐牙神社(さがじんじゃ)は古代 酒造りの地であり「さか」「さけ」と呼んでいました。また、「榊」から朝廷に 仕える人であったと考えられます。
 かぐや姫の「かぐ」は、「火の神」であり、天王の朱智神社には迦爾米雷命 (かにめいかづちのみこと)を主神に「火明命(ほあかりのみこと)」などが 祀られています。
 古事記には、開化天皇の孫「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)」と その娘「迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)」の名が記されています。
この迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)は、垂仁天皇の后だったのです。  かぐや姫(迦具夜比売命)の父である大筒木垂根王は、その名前から「大筒木郷」 (京田辺市の普賢寺・興戸・飯岡・三山木を含む地域)の地方の長ではなかった かと思われ、「竹取の翁」と推定できます。あるいは、山本の駅家の長や佐牙神社 の太夫の一人とも考えられます。また、「垂根」とは「竹の根」、「筒木」の 「筒」は竹、「つつき」は、月を連想させます。山崎の山崎神社所蔵の古図や 朱智庄佐賀庄の絵図には、大筒木垂根王の居館と思われる「大筒城佐賀冠者 旧館地」が記されています。ここは、近年の発掘調査で古代条里制の「山本駅」 の中心であった事が判明しました。
 また、近くの同志社大学京田辺校地には、継体天皇の「筒城宮(つつきのみや)」
伝承地もあり、「筒城」の名が出てきます。この「筒城」は、「大筒木垂根王」り
「筒木」と同様です。
 かぐや姫に求婚する5人の貴公子は、いづれも壬申の乱の功労者であり、その乱で
大津の宮から瀬田川沿いに逃げてきて敗死した大友皇子(弘文帝)が山崎神社に祀ら
れています。この地域は、奈良とは違った勢力の人達が住んでいた地域です。
 つまり壬申の乱で滅ぼされた一族の子孫か、あるいは藤原政権に批判的な作者が
、京田辺市のあちこちに残されていた伝承をもとに「竹取物語」を書き記したの
ではないかとも思われます。
 また、車持皇子の蓬莱の玉の枝を造った6人の鍛冶工匠は、普賢寺の多々羅に
住んでいた製鉄集団ではなかったかと思われます。この製鉄集団もかぐや姫の
「かぐ」すなわち「火の神」と関係していると思われます。
 かぐや姫の名付け親の「御室戸斎部の秋田(みむろどいんべのあきた)」の
「みむろ」とは神の宿るところ「三室」は、宇治の「三室戸」の中臣氏か、
あるいは、京田辺市でそう呼ばれる薪の甘南備山付近にいた人達と考えられます。
この甘南備山は、平安京の朱雀大路を決定する際の基準点のひとつといわれています。
 甘南備山の北方には大住の月読神社があり、祭神である「月読命(つきよみの みこと)」も月に関係しています。また、月読神社では「隼人舞」が奉納されます が、松井の竹林には「隼人塚」もあり、竹の子の産地として知られています。
 5人の貴公子への難問のうち、4つは船に乗っていくことから作者は木津川を 想定していたのではないでしょうか。また、車持皇子の蓬莱の玉の枝を造った6人 の鍛冶工匠は、普賢寺の多々羅に住んでいた製鉄集団ではなかったかと思われます。 この製鉄集団もかぐや姫の「かぐ」すなわち「火の神」と関係していると思われます。
 時の帝は、かぐや姫に宮仕えを断られ、「竹取りの翁の家は山本の近くにあるの で狩りに行くような姿で姫を見よう」といわれたとのことです。
 かぐや姫は最後に月の世界へ帰っていきますが、その姿は山本の鶴沢の池に伝わる 天女伝説とオーバーラップしないでしょうか。
 この他、京田辺市飯岡の「トヅカ古墳」出土の銅鏡「神人車馬画像鏡」には、道教 の神仙・西王母と従者、四頭立て車馬と二頭立て車馬出行、山岳などの画像がみられる。 西王母と東王父は、中国の神話上の中心的人物とされ、西王母は不老不死の薬をもって 永遠の若さを保ちながら人の世の生命を司っているとされている。
 このように京田辺市は、神仙思想が満ちあふれた地域であり竹取物語にちなむ地名や 話が沢山存在し、まさに『竹取物語』“かぐや姫の里”といえるでしょう。

くわしくは、
  ☆京田辺市郷土史会 機関誌『筒城』
    1. 第36輯 「山背国綴喜郡山本駅と古代駅制について」平成3年3月発行
            山本駅と竹取物語について 小泉芳孝
    2. 第38輯「出垣内村のこと-大筒木旧館跡-」平成5年3月発行
            竹取の翁と大筒木旧館跡について 水山春男 
    3. 第45輯「竹取物語を考える」平成12年3月発行
            地元資料や文献から「かぐや姫」京田辺を推定 水山春雄
    4. 第45輯「山本村の鶴澤ノ池」平成12年3月発行   
            地元資料や文献から「かぐや姫」京田辺を推定 小泉芳孝 

  ☆『稲作民俗の源流-日本・インドネシア-』 小泉芳孝著(文理閣)
       第4章.古代駅制・山本駅と『竹取物語』 平成12年2月20日発行    

  ☆『京都新聞』記事 平成12年10月15日
   朝刊「山城版」語り手 考古学者・森浩一さん
        「いま南山城の古代がおもしろい」竹取物語のルーツ
            原型は隼人の伝承 -文学的に集約- 
       森浩一さんは、「京田辺市は自身を持って『かぐや姫の里』と言っても
               何ら学問的に不思議はない」     
 
  ☆第35回京田辺 市民文化祭で「『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺」展示
       平成12年11月3日(祝)4日(土)  京田辺市主催

  ☆『京都新聞』記事 平成12年11月13日朝刊「灯火」 
         「かぐや姫の里」郷土史会会員が会誌で紹介し、市民文化祭でも発表!     
 をご覧下さい。   

 ○おわりに

 京田辺市のほか、全国には至る所にかぐや姫伝説が残されています。
東から静岡県富士市、奈良県広陵町、京都府向日市、香川県長尾町、
岡山県真備町、広島県竹原市、鹿児島県宮之城町の7市町です。
 これらの7市町では、かぐや姫をテーマにしたまちづくりがおこなわれ、
定期的に「かぐや姫サミット」が開催されています。
  京田辺市郷土史会では、京田辺市に残るかぐや姫伝説を更に掘り起こし、 市民のみなさんからアイデアを募集して、さまざまなイベントに取り組みたく 考えています。

     主なかぐや姫関係書籍等    
  ☆ 京田辺市郷土史会 機関誌「筒城」
    1. 第36輯 「山背国綴喜郡山本駅と古代駅制について」平成3年3月発行
               山本駅と竹取物語について   小泉芳孝
    2. 第38輯「出垣内村のこと-大筒木旧館跡-」平成5年3月発行
               竹取の翁と大筒木旧館跡について  水山春男
    3.. 第45輯「竹取物語を考える」平成12年3月発行
               地元資料や文献から「かぐや姫」京田辺を推定 水山春男
    4. 第45輯 「山本村の鶴澤ノ池」 平成12年3月発行  
               地元資料や文献から「かぐや姫」京田辺を推定 小泉芳孝
  ☆『序説』「かぐや姫の家」 本田義憲 (奈良女子大学)
  ☆『竹取物語』 山岸徳平・田口宿庸一 (法文社)
  ☆『普賢寺の遺跡』
  ☆『薪誌』 (京都府田辺町薪誌刊行委員会)
  ☆『けいはんな風土記』 門脇悌二監修 (関西文化学術研究都市推進機構)
  ☆『竹取物語考』 加納諸平
  ☆新潮日本古典集成『竹取物語』 野口元大 (新潮社)
  ☆金紗江の『竹娘説話』・チベット族の伝承と『竹取物語』 君島久子
  ☆『稲作民俗の源流-日本・インドネシア-』 小泉芳孝著(文理閣)
       第4章.古代駅制・山本駅と『竹取物語』 平成12年2月20日発行    

その他「かぐや姫関係書籍等   
  ☆日本古典体系『古事記・祝詞』『日本書紀』 (岩波書店)
  ☆『竹取物語』 阪倉篤義校訂 (岩波文庫)
  ☆奈良絵本絵巻集『竹取物語』 中野幸一編 (早稲田大学出版)
  ☆国文学『竹取物語フィクションの誕生』 平成5年4月号 (学燈社)
  ☆日本少年少女古典文学館『竹取物語』 北杜夫 (講談社)
  ☆『王朝の文学と方法』 塚原鉄雄 (風間書房)
  ☆『新修・竹取物語別記』 塚原鉄雄 (白揚社)
  ☆『かぐや姫の光と影』 梅山秀幸 (人文書院)
  ☆日本古典文学全集『竹取・伊勢・大和物語』 (岩波書店)
  ☆『竹取と浮雲』 篠田浩一郎 (集英社)
  ☆『竹取物語』 星新一訳 (角川文庫)
  ☆『竹取物語』 中川与一訳 (角川文庫)
  ☆『昔話と国文学』 柳田国男 (創元社)
  ☆『竹の民族誌 上・下』 沖浦和光 (岩波新書)
  ☆『竹づくし文化考 上・下』 上田弘一郎 (京都新聞社)
  ☆『大日本地名大辞典(上方)』 (戸山房)
  ☆『三代実録』
  ☆『古語拾遺』 斎部広成
  ☆『竹取物語語解』 田中大秀
  ☆『京都府田辺町史』 村田太平 (田辺町役場)
  ☆『筒城』第36輯 (田辺郷土史会)
  ☆かぐや姫のまち『広陵町』 (奈良県広陵町役場商工課)
  ☆『普賢寺由緒書』

 


『竹取物語』”かぐや姫の里“京田辺

  京田辺市郷土史会 文化部会 

「かぐや姫の里を考える会」
「竹取物語の舞台が京田辺市」に賛同頂いている先生の紹介

吉田金彦さん・・筒木の「竹取物語の舞台」説は正しく賛同する! 
 
『古事記』の「大筒木垂根王」と「大筒木真若王」の「筒木」は、継体天皇の筒木宮であり山城国のことである。「迦具夜比売命(かぐや姫)」の「竹取物語の舞台」が京田辺市であるという貴方の説に賛同します。
 吉田氏紹介-語源研究の第一人者。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授など歴任。姫路独協大学名誉教授。現在:
日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。著書:『日本語語源学の方法』『古代日本語をさぐる』『古代日本語を歩く』『京都滋賀 古代地名を歩く』『ことばのカルテ』『埋もれた万葉の地名』他多数
森 浩一さん・・京田辺は『竹取物語』が熟成した場所・・原型は隼人の伝承 -文学的に集約- 。
 歴史シンポジウム「いま南山城の古代史がおもしろい」で、「京田辺は『竹取物語』が熟成した場所として自信を持っていい」と発表、主催:京都新聞社、平成12年9月23日。竹取物語のルーツ「京田辺市は自信を持って『かぐや姫の里』と言っても何ら学問的に不思議はない」。森浩一氏は、この地に竹の文化を持ち込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないかとしている。
 森氏紹介-考古学研究の第一人者。考古学界の第一人者。
同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。同志社大学名誉教授。専攻:日本考古学 日本文化史学。著書:日本神話の考古学』『記紀の考古学『語っておきたい古代史―倭人・クマソ・天皇をめぐって他多数

門脇禎二さん・・「講演会」山代の古代史と民族(的)文化-甦った大筒木(綴喜)「王女かぐや姫」。-主催:京田辺市郷土史会 開催日:平成15年5月25日(日)
 筒木は、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住していたといわれ、記紀などに明記されている。また、今まで神話と言われていた大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王などの時代においては、平安時代に作られた『竹取物語』に「迦具夜比売命(かぐや姫)」がいて実在の皇后である。

 門脇氏紹介-文献史学の第一人者。京都大学文学部史学科卒業。専攻:日本古代史。奈良女子大学教授、京都府立大学文学部教授、京都府立大学長、京都橘女子大学長など歴任。京都府立大学名誉教授。 文学博士。著書:『日本古代共同体の研究』『日本古代政治史論』『「大化改新」史論』上巻下巻『古代日本の「地域王国」と「ヤマト王国」』上下『葛城と古代国家』・『古代出雲』他多数

本田義憲さん・・奈良女子大学 『序説』「かぐや姫の家」で、山本や大住の京田辺あたりを指摘

「かぐや姫の家」(叙説 昭和54年)で、かぐや姫の故郷である「月」と関わりのある「月神」を祀る式内社が山城国に三社あり、その内の「月読神社」が綴喜郡に祀られている。南山城地域は「月神信仰」が盛んであったので「綴喜」が相応しい。
 本田氏紹介-奈良女子大学教授、京都外国語大学教授など歴任。奈良女子大学名誉教授。

井上満郎さん・・京田辺の「大住」は、隼人と竹の文化があり、南九州の大隅隼人が移住した所。
 古代の薩摩地方の「大隅隼人」は、6世紀のころ京都府京田辺市大住に「大住隼人」が住み着いたことが正倉院の古文書に出ている。隼人は、都(奈良・平安時代)を防衛する朝廷の警護や貴人の警護それに諸儀式に奉仕していた。『竹取物語』の天孫降臨の思想は、これら大住隼人と関係し、また京田辺市の大住には、延喜式内月読神社があり、またその近くには甘南備山がある。月読神社の祭神は、月読尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊である
 井上氏紹介-平安京研究と渡来人研究の第一人者。京都大学大学院文学研究科国史学専攻博士課程修了。京都産業大学教授 京都市歴史資料館館長。大隅隼人の移住先(大住)に在住。
京田辺市郷土史会かぐや姫の里を考える会」副会長。専攻:日本古代史・考古学(日本古代史研究)。著書:『古代・中世の政治文化』『平安京』『古代の日本と渡来人古代史にみる国際関係』など
塚口義信さん・・神功皇后伝説のふる里を探る ―南山城の息長”の地名を手がかりとして。

 南山城地域における神功皇后や継体天皇関係の研究者で、延喜式内朱智神社の祭神「山代之大筒木真若王」(「山代」「筒木」に由来する名前)をはじめ神功皇后の系譜に山城南部の地名に由来する名が多く登場すると主張。
 塚口氏紹介-古代天皇である神功皇后や継体天皇どの第一人者。堺女子短期大学学長、文学博士。専攻:日本古代史・文化人類学。関西大学第一高等学校・第一中学校教諭、関西大学講師など歴任。主な著書『神功皇后伝説の研究』『ヤマト王権の謎をとく』『古代王朝をめぐる謎』『三輪山の古代史』『三輪山の神々』『古代天皇のすべて』など。
池田哲郎さん・・「竹取物語」発祥の地・京田辺市は、もう決まりですね
 京都地名研究会の創刊号「通信誌の『地名探究』第一号(平成15年3月31日発行)に記した
「竹取物語」発祥の地・京田辺市は、もう決まりですね。
 池田氏紹介-
九州大学文学部博士課程修了、名古屋大学大学院文学研究科、言語学科博士課程修了。現在:京都産業大学教授。専攻:言語学(アルタイ学、ウラル言語学、一般言語学)。著書:アルタイ語のはなし『ハンガリー語初期文献の研究』『語源探求4』『ことばから人間を(吉田金彦編)』『情報伝達の流れから見た19世紀北方ユーラシアの言語改革』。
曽根誠一さん・・『竹取物語』構想時のモデル地である可能性高い。
讃岐垂根王の兄であり、迦具夜比売の父である大筒木垂根王の居住地である「大筒木」こそ、構想時点での讃岐の造の家のモデル地であった可能性が高いのではあるまいか。「大筒木」の所在地については、『古事記』中巻・開化天皇条に「山代の大筒木真若王」とあり、山城国であることが知られる。
 曽根氏紹介-花園大学教授。専攻:国文(中古文学)。『竹取物語』『源氏物語』宇治十帖と、初期百首歌などを主に研究。『三十六人歌仙家集解難鈔』の写本についてなど
内村悦三さん・・京田辺は、日本の『竹取物語』ゆかりの最有力候補地。
 かぐや姫の竹は、真竹(直径9センチ程)ではないか、京田辺は、日本の『竹取物語』ゆかりの場所として最有力候補地である。また物語の竹から生まれた女性の昔話はソロモン群島や中国四川省でも語り継がれている。
 内村氏紹介-竹資源活用フォーラム会長。
専攻:森林生態学。農学博士。京都大学農学部林学科卒業。農林省林業試験場などを経て大阪市立大学理学部教授、附属植物園園長、日本森林技術協会技術指導役、日本林業同友会専務理事など歴任。富山県中央植物園園長、日本竹協会副会長、竹文化振興協会常任理事。著書:『タケ・ササ図鑑竹への招待』『タケと竹を活かす』
■下野敏見さん・・「かぐや姫発祥の地"京田辺"」の御説大変面白い。
 「かぐや姫発祥の地"京田辺"」の御説大変面白いと思います。南九州の昔話の中では、余り語られていないので、忘れられてしまったのでしょうか。それとも「大住」あたりで論に磨きがかかって行ったのでしょうか。今後の研究課題です。『エプタ』Vol.23「日本昔話の世界」面白く拝読しました。
 下野氏紹介-南九州民俗学の第一人者。鹿児島大学卒業。鹿児島大学教授、鹿児島純心女子大学教授、国立民族学博物館国内資料調査委員などを務め、現在、鹿児島純心女子短期大学非常勤講師。著書に「日本列島の比較民俗学」「東シナ海文化圏の民俗」「南九州の伝統文化 1、2」「田の神と森山の神」「民俗学から原日本を見る」「南九州の民俗芸能」など多数。
■山嵜泰正さん・・「かぐや姫の里;京田辺」も全国区になりましたね。
 「日本昔話の世界」かぐや姫発祥の地として京田辺が雑誌2005年9月号の『エプタ』Vol.23で取り上げられたことによりいよいよ全国区になりましたね。
 山嵜氏紹介-京都地名研究会常任理事。立命館大学大学院卒業、京都教育大学付属高校教諭・定年退官、現在:説話・伝承学会会員、世界鬼学会会員。著書:『京都あちこち』上中下巻、『京・寺町通りの伝承を歩く』『小町の謎』『おもしろ鬼学』など。KBS京都TV「京の不思議」・「きらめきStory」シリーズの監修。

石田天佑さん・・継体天皇の「筒木」は、竹から生まれた「かぐや姫」の生誕地
 古くから南方や中国大陸それに朝鮮半島から渡来人が住み着き神功皇后や息長足姫に関係する地名や伝承が残っている。『古事記』垂仁記に「大筒木垂根王之女、迦具夜比売命」とあり、「大筒木垂根王」とその娘に「迦具夜比売命」がいる。筒木の普賢寺は大変古い歴史がある。雑誌『エプタ』Vol.23
「日本昔話の世界」1.浦島太郎(京都伊根町・浦島神社)、2.桃太郎(岡山・吉備津神社)3.かぐや姫発祥の地をご覧になって・・・いつの間にか「かぐや姫」研究家の第一人者になってしまいましたね。
 石田氏紹介-京都大学文学部言語学科卒業、同大学院修士課程終了。相撲史研究家・幻想創作家。日本語源研究会・総合文芸誌「まほろば」編集長。著書:『イグドラシルの言語学 -やまとことばの源流を尋ねて』『義留我明主(ぎるがめしゅ)の言語学 -続やまとことばの源流を尋ねて』ギルガメシュ出版 ㈱ギルガメシュ代表。
八代新一さん・・「竹取物語」発祥の地「かぐや姫」伝承の土地としておそらく、正しいであろう。
 南九州の古代史の通説を疑い新たな扉を開いた作品の自著『古事記に笠沙が載ったわけ』高城書房の中で、京田辺市は「隼人舞」の発祥地だけでなく、自らの土地が「竹取物語」発祥の地、「かぐや姫」伝承の土地として声高に主張しているのがインターネットでも知られる。

京田辺市郷土史会「かぐや姫の里を考える会」http://take-tanabe.hp.infoseek.co.jp/

見てきたところ、おそらく、この主張は正しいであろう、と記している。また古事記・日本書紀を中心に色々な先生の本を読み、小さいころに習った歴史を紐解き、戦後の教育改革と変化した歴史観の中から南九州に残る伝承をたどり『古事記』などとつき合わせ他地域とも比較検討。『古事記』に書かれている内容が、地元の地名などと関連しているとされ、さらに荒木博之氏の著書巻末解説に触れ「民間伝承は、記紀という国家の介入した史書に止められる前の古形を示しているものか、あるいは逆に書承から口承と、述べられている」と記しておられる。
 八代氏紹介-郷土史家。上智大学英文科卒業。長崎・鹿児島で高校英語教員を勤める。著書:『古事記に笠沙が載ったわけ』『隼人の神学と正史』隼人の神学と正史

井上仁一さん かねてから貴方が主張している「かぐや姫の里」・京田辺市は、まちがいなし。
 『エプタ』Vol.23日本昔話の世界 かぐや姫発祥の地2005年9月号を読ませて頂きました。なかなか立派な内容で、かねてから貴方を始め京田辺市郷土史会が主張している『竹取物語』かぐや姫の里京田辺を指示している方が増えているのでこれで間違いなしと思う。あとは、行政が腰を上げるかにかかっている。
 井上氏紹介-郷土史家。日本写真印刷(株)で編集・企画・営業を担当。『田辺町近代史』『田辺町近世近代資料集』の事務局と編集を担当。主に古文書調査と解読に携わり現在に至る。

三好芫山さん・・京田辺出身ですが京田辺がかぐや姫の里とは知りませんでした。

尺八と『竹取物語』は、私の演奏活動そのものであり古里が重なります。私の育った京田辺で竹取物語にちなむ演奏会を是非実現し町おこしをしたいですね。「何かがおかしい。何かが根本的にまちがっている。あまりにも西洋化しすぎている・・?」子供は正直です。この国社会の中、外国で日本のことを尋ねられても何も答えられず、恥をかく日本人を創った。敗戦後、遅れを取り戻すために西洋化を取り入れた。この想いがやっと国(文部省)に届いて"日本再発見"の風が吹き中学校の指導要綱に『一種類以上の和楽器を用いること』という一行が加わりました。和楽器には音楽そのものの他に、情操的、精神的な不可価値があります。日本最古の物語竹取物語にも同様の付加価値が沢山あります。今日"日本再発見"の風が吹いてきた。
 三好氏紹介-都山流尺八演奏家。12歳の時都山流・富井舜山に入門。1983年尺八界最高の称号「竹琳軒」を允許。八坂神社等で献笛。文化使節として海外公演するなど日本の伝統文化を継承。1985年京都市文化芸術協会賞を受賞。アポロンよりCDを出す。

玉井芳泉さん・・竹取の古里だと知りびっくりした。私の絵本が役立つのなら使って頂いて良い。
 1997年に日本最古の染色である『絞』技術を駆使した「絞り絵本、絵巻物竹取物語」の絞絵を制作発表された。
玉井さんは、制作にあたり色々な本や物語の原文を読んで研究し「竹取物語の絵巻物」を一年かけて完成させた。場面構成は、竹の中から姫が誕生するシーンで始まり、月から姫を迎えにきたあと不死の山まで物語の順に沿って十八のシーンが平安調の雲がたなびく中にうまく描かれている。この原画を元に京都絞栄会の京鹿の子絞り伝統工芸技術士四十人が、一年がかりで絵巻物『竹取物語』」を完成させた。
 玉井氏紹介-京都府京田辺市薪の手書き染色作家。絞り工芸展の訪問着部門で大阪通商産業局長賞・京都府知事賞を受賞。作品に「鳥獣戯画」など多数。
山口真一さん・・伝説の色々な場所の資料がそろっているのにびっくりした。 
 
竹原市の「かぐや姫文庫」館長が京田辺市へ訪れ、竹取物語ゆかりの地を見学。2003.5.24
 山口氏紹介-慶應義塾大学商学部卒 マーケティング専攻 ホンダ系自動車販社入社 米国IBM系日本法人入社 住友ビジコン(現日本総合研究所)入社 ヒューマン・クリエイト・コンサルティングを設立し経営指導活動に従事、多くの若手営業マンを全国No.1に育成。ヒューマン・クリエイト・コンサルティング所長 竹原市の「かぐや姫美術館」(加藤慈念館長)に付設する広島県竹原市「かぐや姫文庫」館長。
萬遜樹さん・・E-Mail「ニッポン民俗学」folklore・・隼人は竹民俗の担い手。

山背国南部(京田辺市)にも竹林が多い。ここには大隅半島の隼人が移住させられていたのだ。奈良あるいは平安時代の竹民俗は、これらの地にこそ伝承されていたと言うべきだろう。隼人は海人族・海神族であり、つまりオーストロネシア語諸族つまり南方モンゴロイドであり、竹民俗の担い手だと断定してよいだろう。
■京都のネット業界で活躍の村田さん(電話で)・・・「かぐや姫の里」間違いないのでは!
 いまネット業界で「竹取物語の里”京田辺”」が大変話題になっている。あれだけの資料が揃っていればもう京田辺が「かぐや姫の里」間違いないのではないか!私の村田という姓は、南九州の薩摩から来た人が多く綴喜郡に多い。大住隼人と深い関係があるのでは。

■ 地元の京都新聞記者 元支局長・・竹取物語のルーツ 原型は隼人の伝承。
 考古学者・森浩一さんの講演会開催し「いま南山城の古代がおもしろい」竹取物語のルーツ 原型は隼人の伝承 -文学的に集約- 主催:京都新聞社 

『京都新聞』記事 平成12年10月15日 朝刊「山城版」語り手
読売新聞「古事記と山城 深い関係」かぐや姫の里。(学研都市支局長 中野真一) 2004.8.23記事「京都総局から」
 夏休みに口語訳の『古事記』を読み、京田辺市大住の月読神社「隼人舞」が九州の大隅半島から移住したとされる。
市郷土史会の小泉芳孝さんは、この山城を「かぐや姫の里」と言い、垂仁天皇のきさきカグヤヒメの父オホツツキタリネは綴喜に、月読神社は月に通じるとのみかた。昨年この話を聞いた商店街と同志社大生がかぐや姫コンテストを企画。人気を呼ぶ。
  
NHKテレビ・・「ニュースパーク関西」で放映! 「かぐや姫の里京田辺」のシンポジウムを放映!
 記事内容:京田辺市郷土史会の竹取物語に関する活動ぶり
を平成13年3月13日午後6時30分から「ニュースパーク関西」で放映。放送内容:京田辺市郷土史会がかぐや姫の里として発表している古事記の開化天皇の孫「大筒木垂根王とその娘「迦具夜比売命」の名をはじめ、「竹取の翁の家は山本の近くにある」ことなどを地元の絵図や古文書などを写しておよそ5分間の特集で紹介。

『ぴゅあはうす』・・・特集「不思議のクニ」京田辺市 隼人の民がルーツ!?かぐや姫の里。 ぴゅあはうす編集室 東方出版(株) 平成15年8月号。
  記事内容:かぐや姫と竹取の翁は実在の人物。古事記、開化天皇の孫「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比売命」。要衝「山本駅」の存在が焦点に。竹取の翁は「山もと」の「山本村」周辺が発祥の地。「竹取物語」の原型は隼人の民の伝承?。考古学者の森浩一氏は、この地に竹の文化を持ち込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないかとしている。

学研都市の"わ"Wa.・・・京阪奈歴史散歩「かぐや姫の里」京田辺 2004.May VOl.22 編集:都市公団 関西支社 平成16年5月記事から。
  記事内容:古事記には、開化天皇の孫「大筒木垂根王」とその娘 「迦具夜比売命」の名が記されていたり、竹取の翁は「山もと」とあり、また竹取の翁は最初「さかきの造」と呼ばれていたなどから、京都府京田辺市三山木の通称名「山本村」周辺が発祥の地であるとしている。

上村多恵子・・京田辺市がかぐや姫の里とは知りませんでした。

地元のテレビ局でそのような地域の歴史に基づいたロマンあふれる番組を作ってほしいですね。

 上村氏紹介-甲南大学文学部卒業。在学中に京南倉庫㈱代表取締役社長に就任。京南物流㈱、㈱ドラマモード設立、代表取締役。京都市観光大使、 京都市ベンチャー目利き委員。現在、京都経済同友会常任幹事、関西経済同友会幹事。商品開発や町づくりに参画し、京都のルネッサンス運動を目指す。また、詩人であり、エッセイなどの創作活動も。著書:『おんなの魔のとき』『京都物語』など。

雑誌『エプタ』Vol.23  エプタ編集室発行。会長宅へ取材。  2005年9月号。

    「日本昔話の世界」1.浦島太郎(京都伊根町・浦島神社)、2.桃太郎(岡山・吉備津神社) 
            3.かぐや姫発祥の地
 日本民俗学・郷土史研究家 小泉芳孝

京田辺市郷土史会 会長  藤本富雄

  内容:京田辺の地名が「竹取物語」の多くと一。翁の家のある「山本」は古代の駅だった。
     古事記、日本書紀にかぐや姫のモデルが。「竹取物語」の作者はだれか?


 「大筒木出版」
 色々な出版物を製作する為の「大筒木出版」を同時に作ることになりました。
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■出版物の販売(博物館・筆者発想のみの特別価格)1.『竹取物語 現代考』

 1.『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き小泉芳孝著
  定価6000円+税→博物館特価4000円(税込)
A5版 447ページ 
   (A5版の為郵送料500円ご負担下さい)郵便振込のみ合計4500円


 この本は、20数年前から研究してきた「竹取物語の舞台が京田辺」であるという説に基づいたもので、
今までの翁の名前が「さるき」を「さぬき」として讃岐神社としているのを全面的に否定している。それは、
現存最古の天理大学の『竹取物語』に「さかきのみやつこ」が記されていてそれを採用している。また、
何故京田辺なのかを内外の例を挙げて詳細に解説している。

 その他の特色としては、旧仮名遣いの原文で読みにくく判りにくいので、原文に多くの漢字を採用して読
み仮名をつけて判りやすくしている。さらに、原文の判りにくい用語については、注釈をを入れ、解説文も
入れている。


『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き
   
はじめに
 
 『竹取物語』は、平安時代初期貞観後半(八六九)から延喜前半(九〇五)の九世紀末に出来たもので、現存する限り日本最古の純物語文学作品とされている。平安時代の日本は、中国の洛陽や長安をモデルに國と文化を形成していった。
 その中には文学も含まれ、遣唐使や遣使らにより中国の文学が日本に輸入されてきたと考えられる。『源氏物語』の中でも「物語の出で来き始めの祖おやなる竹取の翁」と記されており、紫式部の時代から同様の認識があった。『竹取物語』は、作者不詳、題名不詳の物語であるが、当初「竹取の翁の物語」などと略して『竹取物語』と呼ばれるようになっていった。
 平仮名で書かれた最初期の文学でもあるが、初めは漢文(片仮名交じりの宣明体)で書かれていたものが、書き直されたのではないかとされている。
 これまで、『竹取物語』の研究や考察は、実に多岐の分野にわたっている。国文学者をはじめ歴史学者や民俗学者それに児童文学者さらに作家にいたるまで、物語についての考究、発言が国内外で行われている。それは『竹取物語』が、内外の貴族批判・超能力・怪奇現象、異国趣味、求婚活動など、世間に古くから伝わっていた話や伝承を取り入れるなど、物語として引き込まれる要素があり、現在の私達にも通ずるものが多く光り輝いているからだと思われる。
 そして、現在では中学校の国語の教科書にも収録されており、古典文学に関心のない人でも「今は昔、竹取の翁といふものありけり…」で始まる物語の冒頭は記憶にあるのではないだろうか。このように物語の成立から現在に至るまで『竹取物語』は、絵本、現代語訳、児童書などの多様な形式で長い間つづけてきた。
 『竹取物語』は、致富長者説話、求婚難題説話、昇天説話、羽衣説話、地名起源説話、仏生説話が取り込まれていることに特色が有り日本最初の小説と言われる文学作品である。この本は、各地の伝説や物語の持つ特色など、あらゆる分野から解析を試みながら作者が何を表現したかったのか、また物語の中で巧みに場所を使い分けており「何処を舞台に設定したのか」などを分析しながら物語に登場する様々な項目について考察を重ねて来たのを私なりに論じてみた。
 「かぐや姫」の名が登場する最古の資料は『古事記』であり、また「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の女むすめ、迦かぐやひめのみこと具夜比賣命を娶めして、生みませる御子、袁耶弁王」との記載がある。また、『万葉集』巻第十六には「昔老翁ありき。號を竹取の翁と曰ひき。此の翁、季春の月にして、丘に登り遠く望むときに、忽に羹を煮る九箇の女子に値ひき」というように、「竹取の翁」の名が登場する。これらは『竹取物語』よりも成立年代が前になり、直接の関連は無いにしても、何らかの影響があるのではないかという空想が広がる。 
 『竹取物語』は、平安時代初期にできた日本最古の物語で、ある日竹取の翁が竹の中にいた光り輝く三寸余りの少女を授かり「かぐや姫」と名づけて育て成人する。そして五人の貴公子から求婚を受けるが無理難題を出して次々にしりぞけ、時の帝の求めにも応じず八月十五日の夜に月から迎えが来て昇天するという求婚・昇天説話である。

物語の最初は、
   いまはむかし、たけとりのおきなといふものありけり。野山にまじりて、たけをとりつつ、よろづのことにつか   ひけり。名をば、さかきのみやつことなむい   ひける。
とある。
 
 『竹取物語』の発祥地説については論争が続いているが、私は竹取の翁がいたのは、京都府京田辺市ではないかと考え、平成三年度発行の『筒城』第三十六輯に「山城国綴喜郡山本駅と古代駅制について」の中で少し書いた。その後も研究を重ねるうち、『古事記』垂仁記に「大筒木垂根王の女、迦具夜比賣命」とあり、「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比賣命」が記されていて「かぐや姫」は実在の人物であったことがわかり、京田辺が『竹取物語』の舞台となった発祥地であり「かぐや姫」伝説地という結論に達した。
 研究当初は、自信なかったが、シンポジウムを開催した時に会場に来られていた日本語源研究の第一人者の吉田金彦代表から『古事記』の「大筒木垂根王」の娘「迦具夜比賣命」は、『竹取物語』のかぐや姫で「竹取物語の舞台」が京田辺であると励まして頂いた。また、パネラーになって頂いた国文学の曽根誠一教授は、大筒木垂根王の「大筒木」こそ翁の家のモデル地であった可能性が高いと『筒木』に投稿、平安京に詳しい京都産業大学の井上満夫名誉教授からは、「かぐや姫を考える会」を作ったらと言う提案を頂き、考古学の権威である森浩一名誉教授からは、「京田辺は『竹取物語』が熟成した場所として自信を持っていい」と京都新聞社主催の基調講演で、竹取物語のルーツとして「京田辺市は自信を持って『かぐや姫の里』と言っても何ら学問的に不思議はない。この地に竹の文化を持ち込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないか。」と述べて応援して頂いた。
 また、京都府立大学長で文献学の第一人者の故門脇禎二名誉教授からは、山代の筒木は、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住していて大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王の時代に「迦具夜比賣命」がいて実在の皇后であると後援会で発表された。その後に、私の著書『稲作民俗の源流―日本・インドネシア―』を読まれて「貴方の研究は地域に出向き調べられて発表されており脱帽です!」という手紙を頂いた。この他にも沢山の先生方や友人らの励ましの言葉や応援があってここまで続けられたのである。
 その後、私は、会社の定年を迎えて再度出版に取り組もうと目次を考えるが体調不良と老眼も進み集中力もなくなり進まなかった。しかし、地元を始め全国紙の新聞社や雑誌『エプタ』Vol.23「日本昔話の世界」で、かぐや姫発祥地としてトップで取り上げられ励まして下さり、私が生きている内に完成させなければ消滅してしまうと思いまとめたのがこの本である。 
中身は、京田辺説を中心に様々な分野から解説しており、物語に親しんで頂けるよう原文と注釈それに現代語訳を挿入して楽しく読めるように工夫した。作者像については、当初、紀長谷雄のみを考えていたが最近空海説に出会えて急遽追加する事にした。また、読者によっては、最初から読まなくても判るように工夫したので同じ内容が時々出ているがお許し頂きたい。この他、少しでも皆さんに古典に親しんで頂けるよう各所で工夫しており、読者の皆様に新発見や何かの役に立てたならば幸いである。文中第七章の「インドネシアの民話」部分では、中口ひとみ氏に御協力頂き、「中国の『後漢書』『華陽國志』『群書礼記』から」は、私が中国で入手した漢文の翻訳もお世話になった。物語の原文等や校正については、古川・臼井両氏と出版社のに、作者像については、青井・川野氏にお手伝い頂き、さらに、影で支えて下さったり、色々と励まして頂いた皆様があってこそ完成したのであり感謝にたえません。この紙面を借りてお世話になった皆様にお礼申し上げます。
       
   平成二十四年一月   芳泉庵にて 小泉芳孝
  
凡 例
            
一、本書に挿入した原文は、『最新国文解釈叢書・竹取物語』山岸徳平・田口庸一著(株)法文社(昭和二十  九年三月一日初版発行)の原文を元に、漢字を多数入れて振り仮名と送り仮名を付け加えて意味がわか  りやすいように工夫した。  (本編での原文引用は、なるべく上記本のままとした。)
一、原文の上記本は、古本と言われる正保三年(一六四六)刊本を底本とし、校本には新井信之の『竹取物   語の研究』、古典文庫、群書類従及び山岸文庫本を使用しており、これを基本に作成。現代語訳は、出来  るだけ直訳を心がけ作成している。
一、古典文学に少しでも親しんで頂けるよう「原文の読み」については、平安初期の発音を反映する表記とす   るために歴史的仮名遣いにしたがった。この為、意味が通じなくなるので「濁点」を付し「漢字」を多く取り   入れた。漢字は現代当用漢字に努め平安文学に親しめるよう振り仮名を付したが慣用に反するものや    例外もある。
一、文章の区切りは、中身を判りやすくするために細かくして、話し言葉に括弧を追加して読みやすくした。ま   た、場面が大きく転回するごとに内容を要約した見出しを付け、原文の後に「注釈」として「※」印を付して   記入し、さらに、現代語訳と解説をつけた。特に解説が必要ないと思われる所は、省いて後にまとめて挿入   した。解説については、本文と少し重なる所も見られるがなるべく同じ文章にならないよう工夫した。

 一、「※」印の注釈は、なるべく簡単に表示し、「竹取物語高松宮蔵」(新典社版原典シリーズ六編者 片桐洋 一)等を参考にさせて頂いた。
 一、本書は、先輩諸家の注釈・現代語訳・研究に負って成ったものである。謹んで謝しお礼申し上げます。
「大筒木出版」 http://taketori.koiyk.com/ootutu-shupan.html

〈著者紹介〉

小泉芳孝
(こいずみ・よしたか)
1947生まれ
京都府立城南高等学校卒業
日本写真専門学校卒業
近畿大学法学部卒業
佛教大学文学部(史学科)卒業
現 職 竹取翁博物館館長
    大筒木出版代表
    学生マンション「スカイハイツ三山木」オーナー
職 歴 大阪映画(株)撮影部
   (株)京都放送(KBS京都)
所 属 城南郷土史研究会会員
諸団体 京田辺市郷土史会理事・京都地名研究会常任理事・
    京都民俗学談話会会員・京都府立山城郷土資料館会員
    などを歴任
専 攻 日本民俗学 郷土史 古代史 法律学
著 書 『稲作民俗の源流 ?日本・インドネシア-』
共 著 『京都の地名検証』『京都の地名検証2』
    『京都民俗』『筒城』ほか投稿
資 格 法学士 文学史 博物館学芸員 潜水士 PADIライセンス アマチュア無線技師 
E-mail koiy@leto.eonet.ne.jp
H P http://taketori.koiyk.com


地元で開催された「かぐや姫の里”京田辺」シンポジウム

日時: 2001年9月22日(土)午後1時~4時(開場12時半)
場所: 京田辺市中央公民館  大ホール 定員300人
      京田辺市田辺丸山214 (京田辺市役所南側)
 パネラー 花園大学教授        曽根誠一氏(専門分野:国文)
      岐阜経済大学教授      梅山秀幸氏(専門分野:日本文化)
      竹資源活用フォーラム会長  内村悦三氏(専門分野:農林)
 シンポ司会  京田辺市郷土史会理事  小泉芳孝氏(専門分野:民俗・郷土史)
  主催 京田辺市郷土史会
  後援 京田辺市教育委員会 京都新聞社 竹資源活用フォーラム

平成十二年度から十三年度までの経過

第三十五回京田辺市民文化祭で「“かぐや姫の里”京田辺」展示
   平成12年11月3日(祝)4日 京田辺市主催
『京都新聞』記事 平成12年11月13日 朝刊「灯」 
   「かぐや姫の里」会誌で紹介し、市民文化祭でも発表!  
『京都新聞』記事 平成12年11月26日
   「ものがたりと出会う」竹取物語と大筒木垂根王 
NHKテレビが「かぐや姫の里”京田辺”」を放映!
   平成13年3月13日午後6時30分からの「ニュースパーク関西」で放映

竹取物語シンポジウム」開催予告の報道

『洛南タイムス』の記事 平成13年8月22日

『読売新聞』の記事 平成13年9月1日

『朝日新聞』の記事 平成13年9月6日
『京都新聞』の記事 平成13年9月17日
KBS京都ラジオ・・「笑福亭晃瓶のほっかほっかラジオ」2001年9月17日AM7時25分頃
  京田辺市郷土史会理事  小泉芳孝氏が出演! AM7時25分頃10分間
  《内容》京田辺が「かぐや姫」伝承地であり『竹取物語』発祥地であること紹介、
       シンポ開催日パネラーの紹介など。
■KBS京都TV・・「田淵岩夫の特ダネ!」2001年9月14日11時30分頃
  《内容》『竹取物語』「かぐや姫」発祥地のシンポ開催日とパネラー紹介、
       申し込み問合せ先など紹介

「竹取物語シンポジウム」開催後の報道

NHKニュース・「かぐや姫の里京田辺」シンポジウム開催 2001年9月22日

《内容》「かぐや姫」「かぐや姫を主人公とした『竹取物語』の舞台は、一般的に言われている

奈良県広陵町よりも京都府南部の京田辺市ではないか」という説を考えるシンポジウムが、

京田辺市で開かれた。
ラジオ和歌山の番組に生出演 20019月29日 PM1時から5分間
    京田辺市郷土史会会長 藤本富雄氏が出演!『竹取物語』“かぐや姫”に関しての質問など
一休さんウオーク  200111月10日
   『竹取物語』発祥地の資料展示と、「小冊子」を販売
『広報 きようたなべ』の記事 (京田辺市発行)200110月15日
  「かぐや姫の里は京田辺」 国文学者ら迎えシンポジウム 
『京都新聞』の特集記事 200110月22日 
   京田辺は竹取物語の発祥地・活気づく「かぐや姫」の里
   ミュージカルや紙人形劇・市民の催し広がる・学者の発言で拍車

    市側は慎重姿勢     (京田辺支局:後藤竜介)
同女大創立125周年「ホームカミンクデー」で展示 2001114日
   『竹取物語』発祥地の関係資料を展示

シンポジウムに参加された方から

滋賀民俗学会の山本さん・・すごい発見で文献もしっかりとらえていて感心しました。
  大住の月読神社など数回よせて頂いていますので良く内容がわかりました。すごい発見で文献も
  しっかりとらえていて感心しました。シンポの参加者が200人以上もあり、市民らの関心の深さ
  を示しているのでは・・。隼人は、滋賀の瀬田近くにも住んでいたので繋がりがあると思われる。
大阪史跡探訪の主催者、大本さん・・かぐや姫の古事記との関係を興味部深く拝聴しました。
  お伽草子のような物語と思っていたかぐや姫の古事記との関係を興味部深く拝聴しました。大住隼人や
  磐之姫との関係もあり、一度ゆっくり散策したく考えています。立派なむ司会でした。
地元の元教師、林さん・・わかり易い内容で大変良かった。
  わかり易い内容で大変良かった。司会の方の進め方も上手く的確で、準備が大変だったでしょうね。
  参加者らの反響も大変良かった。
同志社大学の学生、濱本さんから・・京田辺が本当に竹取物語の舞台のように思えてきました。
   E-mail:実は私は竹取フォーラムに行きました。お話を聞く前は半信半疑でしたが、
         フォーラムが終わってからは、京田辺が本当に竹取物語の舞台のように思えてきました。


京田辺市郷土史会 機関誌「筒城」の『竹取物語』かぐや姫の里を紹介した初出記事
  1. 『筒城』第36輯・・(平成3年3月発行)

山背国綴喜郡山本駅と古代駅制について」山本駅と竹取物語について・・小泉芳孝 
  2.
『筒城』第38輯・・(平成5年3月発行)

「出垣内村のこと-大筒木旧館跡-」竹取の翁と大筒木旧館跡について・・水山春男
  3.
『筒城』第45輯・・(平成12年3月発行)
      「竹取物語を考える」地元資料や文献から「かぐや姫」京田辺を推定・・水山春男

  4.『筒城』第46輯  (平成13年3月発行)
     「『竹取物語』発祥の地は”京田辺”」・・・・・・・・・・・・・・・小泉芳孝

  5.『筒城』第47輯・・(平成14年3月発行)

 『竹取物語』” かぐや姫の里” 京田辺

「シンポシウムで「物語の発祥地」強調!」・・・・・・・・・・文化部会

「シンポジウム『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺を開催」

 ・『竹取物語』と「綴喜」ノート構想時のモデル地である可能性・・曽根誠

 ・藤原宮子とかぐや姫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梅山秀幸

 ・かぐや姫が生まれたタケを考える・・・・・・・・・・・・・・・内村悦三

36回京田辺市民文化祭の展示と上演

        『竹取物語』かぐや姫の里は、やはり京田辺だった・・文化部会

        「竹取物語』発祥の地は”京田辺”その二」・・・・・・・・・・・・小泉芳孝 

 「飯岡トヅカ出土の神人車馬画像鏡は中国製か」・・・・・・・・・・小泉芳孝 
           内容:道教の神仙・西王母と従者、四頭立て車馬出行などの画像がみられる銅鏡
             「神人車馬画像鏡」が出土している。西王母は、中国の神話上の中心的人物と
              され、不老不死の薬をもって永遠の若さを保ちながら人の世の生命を司って
              いるとされる。
  6.
『筒城』第48輯・・(平成15年3月発行)
         『竹取物語』発祥の地は”京田辺”
          ・インドネシアの民話、中国『後漢書』『斑竹姑娘』から・・・・・ 小泉芳孝
         「私と竹取物語」・・・・・・・・・・・・玉井芳泉
         「竹製の民族楽器アンクルン」と「ミニミニ展」・・・・文化部会
         「『竹取物語』” かぐや姫の里”展を京都信用金庫で開催!」・・・・文化部会
         「かぐや姫の町」広陵町を訪ねて・・・・・藤本富雄  

7.『筒城』第49輯・・ (平成16年3月発行)              

「『竹取物語』かぐや姫の里”京田辺の活動経過」・・・・・・・・小泉芳孝
        「竹取物語ゆかりの筒木について」・・・・・・ 

京田辺市郷土史会「かぐや姫の里を考える会」会長 小泉芳孝

「今、京田辺がおもしろい」かぐや姫ゆかりの里散策マップ・・・

京田辺市郷土史会「かぐや姫の里を考える会」会員 太田文代

8.『筒城』第49輯・・(平成16年3月発行) 

かぐや姫の里」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小泉芳孝
9.『筒城』創立五十周年記念誌   (
平成17年7月発行)          

”かぐや姫の里”と京田辺について」・・・・・・・・・・・・・小泉芳孝

「キトラ・高松塚古墳」被葬者の貴公子説について・・・・・・・・太田文代

『竹取物語』かぐや姫の里を紹介した書籍など

稲作民俗の源流-日本・インドネシア-』 小泉芳孝著(文理閣)

第4章.古代駅制・山本駅と『竹取物語』 平成12年2月20日発行

『竹取物語』かぐや姫の里 "京田辺" 小冊子 京田辺市郷土史会編集 平成13年9月発行

『地名探求』創刊号「『竹取物語』かぐや姫の里 "京田辺"」 小泉芳孝 
 内容:                   京都地名研究会 平成14年3月発行
  1.『竹取物語』の発祥地について  2.「竹取の翁」の家は、「山本」の近く 
  3.『竹取物語』の「かぐや姫」と『古事記』の「迦具夜比売命」  4.「かぐや姫」は「光り輝く」「火の神」
  5.『竹取物語』の五人の求婚者は実在人物  6.「大住隼人」の天孫降臨神話  7.「不死の山」は「甘南備山」
  8.『竹取物語』の舞台は京田辺

別冊1号 シンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」 平成15年10月10日発行
   「竹取物語ゆかりの筒木について」小泉芳孝 発行:京都地名研究会
『ぴゅあはうす』特集「不思議のクニ」京田辺市 隼人の民がルーツ!?かぐや姫の里 
          
ぴゅあはうす編集室 東方出版(株) 平成15年8月号。

 記事内容:記事内容:かぐや姫と竹取の翁は実在の人物。古事記、開化天皇の孫「大筒木垂根王」と
その娘「迦具夜比売命」。要衝「山本駅」の存在が焦点に。竹取の翁は「山もと」の「山本村」周辺が
発祥の地。「竹取物語」の原型は隼人の民の伝承?。考古学者の森浩一氏は、この地に竹の文化を持ち
込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないかとしている。
学研都市の"わ"Wa. 2004.May VOl.22 編集:都市公団 関西支社 平成16年5月記事から。
 記事内容: 古事記には、開化天皇の孫「大筒木垂根王」とその娘 「迦具夜比売命」の名が記されていたり、
竹取の翁は「山もと」とあり、また竹取の翁は最初「さかきの造」と呼ばれていたなどから、京都府京田辺市
三山木の通称名「山本村」周辺が発祥の地であるとしている。

『エプタ』Vol.23  エプタ編集室   2005年9月号。

  「日本昔話の世界」1.浦島太郎(京都伊根町・浦島神社)、2.桃太郎(岡山・吉備津神社) 
            3.かぐや姫発祥の地
 日本民俗学・郷土史研究家 小泉芳孝
                            
京田辺市郷土史会 会長  藤本富雄

内容:京田辺の地名が「竹取物語」の多くと一。翁の家のある「山本」は古代の駅だった。
     古事記、日本書紀にかぐや姫のモデルが。「竹取物語」の作者はだれか?

その他参考資料
■中西 進さん・・古事記は日本の史書である。決して神話や物語ではない。
 『万葉集』は、史書ではない。『古事記』は、史書である。編纂者の政治的立場が、いたるところに見え
 隠れしている。"史書"を研究する際には、特別な注意が必要である。『古事記』上巻は、神話ではない。
 徐福集団の日本渡来(紀元前210年)と、その子孫の"歴史"を描いた史書である。この仮説が、私の
 『古事記』観の基本をなしている。『真福寺本古事記』こそ『古事記』本来の姿を伝える唯一の写本と
 判断する。この立場からすれば、本居宣長の『訂正古訓古事記』は贋作と考えられる。『古事記』を曲解、
 改竄した偽物である。あらゆる"歴史"は、常に書き替えられる宿命を持っている。それが、"歴史"の本質
 である。 『思索過程』2002年7月24日より

 中西氏紹介-東京大学大学院修了。文学博士。成城大学教授を経て、アメリカ・プリンストン大学客員教授
  筑波大学教授、国際日本文化研究センター教授、トロント大学客員教授、大阪女子大学学長、帝塚山学院
  学院長に就任。
奈良県立万葉文化館長、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター名誉教授。
 『万葉集』など古代文学の比較研究を主に、日本文化の全体像をおさめた研究・評論活動で知られる。 
  読売文学賞、日本学士院賞、大佛次郎賞、和辻哲郎文化賞ほか受賞多数。
著書:『中西進万葉論集』
  (全8巻)
『万葉集全訳注』『中西進日本文化をよむ』ほか。

『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺の主な活動
36回京田辺市民文化祭で成果発表 平成13年11月3日(土)~4日(日) 展示
   『竹取物語』絵巻物の展示 京田辺市薪の手書き染色作家 玉井芳泉さんの作品 
                   
天皇家の図面(大筒木真若王の入った開化天皇家系図)拡大して
  『旧記普賢寺之遺跡』の「大筒木垂根王」の古文書
  天女伝説の大住隼人の天孫降臨関係資料(隼人の盾)など 
  特設ステージ 人形劇(ペープサート)『竹取物語』を上演。脚本・制作・出演メンバー・・・

  人形劇団「ぷくぷく」、朗読の会「萌え」代表者 太田恵美さん 演者7人(女性)                                                  
   会員らの竹に関する珍品を展示。
     竹の道具 茶・花道具 「茶せん・茶杓・花器・蓋置き・結界・など」
  その他会員から
     竹の楽器 中口ひとみさん インドネシアの竹の楽器「アンクルン」1.8mX1.7m
    ベトナムの(竹の木琴)チャルン、ペルー・メキシコ・チリの楽器

    竹工芸 岩本俊彦さん 作品名「かぐや姫の誕生」 畳一畳の大きさ

「講演会」山代の古代史と民族(的)文化-甦った大筒木(綴喜)「王女かぐや姫」-

開催日時:平成15年5月25日(日)午後2時30分~午後4時 講演会  
場 所: 京田辺市社会福祉センター 3階 第一研修室
  題: 『山代の古代史と民族(的)文化 -甦った大筒木(綴喜)-「王女かぐや姫」』
  師: 元京都府立大学長 門脇禎二氏
主催 京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内

<シンポジウム>メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」京都地名研究会
開催日時:平成15年10月19日(日)午前10時~16時00分 
開催場所:京田辺市中央公民館大ホール(収容人員200人)
【基調講演】10時10分~

  「神功皇后伝説のふる里を探る南山城の”息長”の地名を手がかりとして」 
     塚口義信 堺女子短大学長(日本古代史・文化人類学)
  「竹取物語ゆかりの筒木について」
     小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事 ㈱京都放送(日本民俗学 郷土史家)
  「南山城の神社と伝承について」
     石田天祐 日本語語源研究会 ㈱ギルガメシュ(幻想創作家 相撲史研究家)
【シンポジウム】テーマ「秘められた山城を探る」12時50分~16時
  冒頭コメント:吉田金彦 日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授
  予定パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑 斎藤
  司 会:古川 章   郷土史家 洛南艸舎文庫人
シンポジウムの予定項目 

  1.神功皇后伝説と“息長”一族それに継体天皇「筒城宮」
  2.南山城の古墳(飯岡古墳群・椿井大塚山古墳・佐紀古墳群)
    山代の古墳出土鏡と被葬者は? 三角縁神獣鏡 神人車馬画像鏡
  3.『古事記』に記す山代の地名・人名・祭神
    「かぐや姫と大筒木乗根王」「山代之大筒木真若王」「山代荏名津比命」

     「山代内臣」「山代大国之淵」「山代内臣之祖」
  4.『竹取物語』にちなむ地名「山本驛」「筒城」「山崎」「甘南備山」「三室戸」など
  5.山代の渡来人に関する地名について(酒・絹織物・鉄・発酵食品)
  6.仁徳天皇「奴理能美の家と皇后磐媛」
  7.山代・山背・山城、筒木・筒城・綴喜、山代川・和訶羅河・和韓河・泉川・木津川など
 主催:京都地名研究会  共催:京田辺市郷土史会
 後援:京田辺市教育委員会、京都新聞京田辺支局、京田辺市観光協会

隼人サミット「古代隼人文化を語る」  鹿児島県隼人町
   開催日時: 平成16年8月1日(日) 午前9時45分~午後4時15分
   開催場所: 隼人町農村環境改善センター(隼人町役場近く)鹿児島県姶良郡隼人町
 サミット出演者

   特別講演  10時15分~「隼人と日本文化」

       森 浩一 考古学者・同志社大学名誉教授
  「隼人舞上演」・・鹿児島せばる・京田辺市大住・鹿児島神宮
 シンポジウム13時30分~
    進 行 役  原田 泉 鹿児島大学法学部教授
    指導助言 井上満郎 京都産業大学教授 京田辺市郷土史会理事
    パネラー 下野敏見 民俗学者 元鹿児島大学教授 
         小泉芳孝 郷土史家 京田辺市郷土史会理事
         角田博文 奈良県五條市阿田郷土史探求会幹事長
         藤浪三千尋 隼人町教育委員会

      テーマⅠ「日本神話の中の隼人」海幸・山幸などの神話、隼人と竹
    テーマⅡ「機内に移住した隼人」京田辺・阿田への移住、竹取物語


上記以外のその他活動報告

郷土史会 機関誌『筒城』から
  1. 第36輯 「山背国綴喜郡山本駅と古代駅制について」平成3年3月発行 山本駅と竹取物語について小泉芳孝
   2. 第38輯「出垣内村のこと-大筒木旧館跡-」平成5年3月発行 竹取の翁と大筒木旧館跡について 水山春男 
  3. 第45輯「竹取物語を考える」平成12年3月発行 地元資料や文献から「かぐや姫」京田辺を推定 水山春雄
  4. 第45輯「山本村の鶴澤ノ池」平成12年3月発行 地元資料や文献から「かぐや姫」京田辺を推定 小泉芳孝 
『稲作民俗の源流-日本・インドネシア-』小泉芳孝著(文理閣)第4章.古代駅制・山本駅と『竹取物語』平成12年2月20日発行    
『京都新聞』記事 『かぐや姫の里』 平成12年10月15日朝刊「山城版」

    森浩一さんは、「京田辺市は自身を持って『かぐや姫の里』と言っても何ら学問的に不思議はない」
35回京田辺市民文化祭で『竹取物語』“かぐや姫の里”京田辺と題して展示。平成12年11月3日4日京田辺市主催。
  「展示コーナー」、田辺の竹を利用した“かぐや姫誕生シーン”、かぐや姫の絵画、

京田辺市内の“物語ゆかり”の場所説明図(地図・写真など)、

日本全国の「かぐや姫シンポジウム」活動している自治体の紹介、

市民向けの簡単な冊子の配布や参考書籍、会員による展示説明も行った。

展示、本久和枝氏制作の人形(かぐや姫)・大内理恵氏の絵画等。

『京都新聞』記事 「かぐや姫の里」郷土史会会員が会誌で紹介し、市民文化祭でも発表!平成12年11月13日朝刊「灯火」

京田辺は『竹取物語』が熟成した場所 同大名誉教授の森浩一氏「歴史シンポジウム」で発表!

京田辺が「かぐや姫」伝承地!『竹取物語』発祥地!

講演会「いま南山城の古代がおもしろい」で同大誉教授森浩一氏、

京田辺は「自信を持って“かぐや姫の里”と言っても何ら学問的に不思議はない」と発言。
36回京田辺市民文化祭成果発表 平成13年11月3日(土)~4日(日) 展示
    『竹取物語』絵巻物の展示 京田辺市薪の手書き染色作家 玉井芳泉さんの作品
                      (絵巻物提供者:「京鹿ノ子絞館」吉岡健治氏)
    会員らの竹に関する珍品を展示。

   『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺の活動経過実績 
   
今までの京田辺市郷土史会などの取り組み

京田辺
      竹の道具 茶・花道具 「茶せん・茶杓・花器・蓋置き・結界・など」  
      その他会員から竹の楽器 中口ひとみさん インドネシアの竹の楽器「アンクルン」1.8mX1.7m
             ベトナムの(竹の木琴)チャルン、ペルー・メキシコ・チリの楽器 
     竹工芸 岩本俊彦さん 作品名「かぐや姫の誕生」 畳一畳の大きさ
     ミュージカル「竹取物語」上演 京田辺市中央公民館大ホール
マスメディアなど・・・
KBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほっかラジオ」日産フラッシュジャーナルに2001年9月14日AM11時30分頃
  京田辺市郷土史会理事  小泉芳孝氏が出演! (AM7時25分頃10分間)
 《内容》京田辺が「かぐや姫」伝承地であり『竹取物語』発祥地であること紹介、シンポ開催日パネラーの紹介など。
KBS京都TV 「田淵岩夫の特ダネ!」(2001年9月17日AM7時25分頃10分間)
   《内容》『竹取物語』「かぐや姫」発祥地のシンポ開催日とパネラー紹介、申し込み問合せ先など紹介。
「竹取物語シンポジウム」『竹取物語』かぐや姫の里は、やはり”京田辺”だった!平成13年9月22日開催!
 パネリスト花園大学の曽根誠一教授(専門:国文)
       岐阜経済大学の梅山秀幸教授(専門:日本文化)
        竹資源活用フォーラムの内村悦三会長(専門:農林)
      シンポ司会  京田辺市郷土史会理事 小泉芳孝氏(専門分野:民俗・郷土史)
      主催 京田辺市郷土史会
      後援 京田辺市教育委員会 京都新聞社竹資源活用フォーラム
  一般広報  『広報京田辺』  市広報掲示板 新聞各社  KBS京都
 【新聞記事】

『京都新聞』9月23日 『読売新聞』9月23日 『広報 きようたなべ』10月15日 『洛南タイムス』9月23日
  NHKニュース「かぐや姫 (9月22日放送)
 
『竹取物語』の舞台は、一般的に言われている奈良県広陵町ではなく、京都府南部の京田辺市ではないか」説を考えるシンポジウム京田辺市で開催!
 『竹取物語』発祥の地は "京田辺"小冊子の発行 京田辺市郷土史会 文化部会(イラスト画:染色作家 玉井芳泉
『京都新聞』『朝日新聞』記事  左をクリックして下さい!
『京都新聞』”京田辺はかぐや姫の里”京田辺市郷土史会が『竹取物語冊子』発行」 
 
『京都新聞』
”かぐや姫の里” 郷土史会がシンポ
NHKテレビ3月13日PM6時「ニュースパーク関西」でもかぐや姫の里”京田辺と放映!NHKニュース「かぐや姫」
人形劇(ペープサート)『竹取物語』上演『竹取物語』の台本作成、劇に使う絵を手作りして発表。
   上演10月3日 4日
 脚本・制作・出演・・人形劇団「ぷくぷく」、朗読の会「萌え」
京田辺は、かぐや姫の里!絵巻物 竹取物語」京鹿の子染色絞絵本展、京田辺市で開催!
  日本最古の物語を日本最古の染色「絞」で表現 玉井芳泉氏
    平成14年5月 7日~5月12日10時~16 時 場所:京都府京田辺市立中央図書館ギャラリー「かんなび」

富士市の中学生が修学旅行で『竹取物語』発祥地の京田辺市を訪問 郷土史会の水山氏が説明。H14.5
アンクルンとインドネシア ミニミニ展

天女のお話しとかぐや姫に似た民話などを紹介。京田辺市中央図書館ギャラリー「かんなび」
  7月21日午後1時~講演「第二のふるさと」。講師:スゲン・サントス先生(インドネシア・ボゴール農家大学)
『竹取物語』”かぐや姫の里”を京都信用金庫三山木支店 ロビーで展示平成14年4月11日(木)~
竹取物語のスタンプ押して  京田辺、郷土史会が作成 Kyoto Shimbun 2002.11.28 News
『地名探求』創刊号 研究ノート『竹取物語』"かぐや姫の里"京田辺 小泉芳孝 京都地名研究会発行
 内容:                                          2003.3.31.発行
 1.『竹取物語』の発祥地について 2.「竹取の翁」の家は、「山本」の近く 
 3.『竹取物語』の「かぐや姫」と『古事記』の「迦具夜比売命」 4.「かぐや姫」は「光り輝く」「火の神」
 5.『竹取物語』の五人の求婚者は実在人物 6.「大住隼人」の天孫降臨神話 7.「不死の山」は「甘南備山」
 8.『竹取物語』の舞台は京田辺
竹原市のかぐや姫文庫山口真一館長が京田辺市へ訪れ、竹取物語ゆかりの地を見学2003.5.24
『筒城48輯』から 2003.3.30
  
『竹取物語』”かぐや姫の里京田辺 インドネシアの民話、中国『後漢書』、『斑竹姑娘』から 小泉芳孝 
  
継体天皇の「筒木」は、竹から生まれた「かぐや姫」の生誕地 語源研究会 石田天佑 
  かぐや姫コンテストとサミットの開催を 京田辺市 市会議員 羽原 豊  

講演会甦った大筒木(綴喜)「王女かぐや姫-」開催!平成15年5月25日午後2時30分~市社会福祉センター 
    
演題 『山代の古代史と民族(的)文化 -甦った大筒木(綴喜) 「王女かぐや姫」ー』
    講師 元京都府立大学長 門脇禎二氏
 主催 京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内
  『竹取物語』の研究者 神奈川県の大学院生 川勝さんが講演会に来訪され郷土史会員と交流。
そよかぜ幼稚園のPTAが『竹取物語』劇する為、郷土史会長に問合せあり。資料を渡す。H15.6
「かぐや姫の里を考える会」の発起人会を開き目的と活動方針を検討。京田辺市郷土史会 市中央公民館2F会議室 H15.7.19
ハウジングマガジン雑誌『ぴゅあはうす』に取り上げられる・・・2003年8月1日発行
  特集「不思議のクニ」京田辺市 隼人の民がルーツ!?かぐや姫の里 ぴゅあはうす編集室 東方出版(株) 平成15年8月号。
  記事内容:かぐや姫と竹取の翁は実在の人物。古事記、開化天皇の孫「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比売命」。
  要衝「山本駅」の存在が焦点に。竹取の翁は「山もと」の「山本村」周辺が発祥の地。「竹取物語」の原型は隼人の民の伝承?。
  考古学者の森浩一氏は、この地に竹の文化を持ち込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないか
  としている。
カラー写真入りで8ページに渡り紹介された。綺麗なカラー写真と解かりやすい記事です。きっと出かけて見たく
  なる記事です。京田辺市にある一休寺の紹介もされています。
「かぐや姫と竹フエスタ」イベントで「かぐや姫の里を考える会」が協力参加。主催:市商工会「ファイトクラブ三山木」 2003.10.18
  「もののけ姫」調のバンド演奏による「かぐや姫の里・京田辺」の歌が完成し会場で初披露した京田辺市郷土史会「かぐや姫の里を考える会」。
京新聞記記事 「変わる観光 一休さん頼み限界」
  記事内容:京田辺は「竹取物語」の舞台という伝承があり、郷土史会が今年、「かぐや姫の里を考える会」を設立した。
  かぐや姫伝説を生かしたセミナーやウオ
キングなど実施する予定だ。
  一休に並ぶ観光ブランドとして魅力があるが、定着するかは未知数だ。・・・
学研都市の"わ"Wa. 2004.May VOl.22 編集:都市公団 関西支社 平成16年5月記事から。
   京阪奈歴史散歩 竹林と古文書が伝える・京田辺。「かぐや姫の里」京田辺が取り上げられる。
 記事内容:古事記には、開化天皇の孫「大筒木垂根王」とその娘 「迦具夜比売命」の名が記されていたり、
     竹取の翁は「山もと」とあり、また竹取の翁は最初「さかきの造」と呼ばれていたなどから、
     京都府京田辺市三山木の通称名「山本村」周辺が発祥の地であるとしている。

隼人サミット「古代隼人文化を語る」
   平成16年8月1日(日) 午前9時45分~午後4時15分隼人町農村環境改善センター鹿児島県隼人町
  隼人サミットでは、隼人に関する講演やシンポジウムのほか京田辺市の隼人舞や鹿児島神宮の隼人舞を披露。
  竹と文化、機内隼人の歴史、海幸・山幸の神話それに隼人と竹取物語との関係などの隼人の文化を掘り起こされた。
  中央に位置し、曽の国と呼ばれていました。
読売新聞「古事記と山城 深い関係」かぐや姫の里 (学研都市支局長 中野真一) 2004.8.23記事「京都総局から」
 記事内容:夏休みに口語訳の『古事記』を読み、京田辺市大住の月読神社「隼人舞」が九州の大隅半島から移住したとされる。
    市郷土史会の小泉芳孝さんは、この山城を「かぐや姫の里」と言い、垂仁天皇のきさきカグヤヒメの父オホツツキタリネは
    綴喜に、月読神社は月に通じるとのみかた。昨年この話を聞いた商店街と同志社大生がかぐや姫コンテストを企画。人気を呼ぶ。
「京田辺のかぐや姫伝説」講演 京田辺市商工会工業部会「キララ会」主催 2004.9.7
 講師:市郷土史会 小泉芳孝
   商工会が地域の活性化と商品開発に向けた取組の一環として「かぐや姫の里と京田辺」
を解説。

富士市の親子が「夏休みの課題」で『竹取物語』発祥地の京田辺市を訪問 2005年7月 

  京田辺市郷土史会の藤本富雄会長が詳細説明し資料を手渡した。
『筒城』創立五十周年記念誌   (平成17年7月発行)  

   1.「キトラ・高松塚古墳」被葬者の貴公子説について・・・会員 太田文代 。
      古墳の被葬者は、かぐや姫の貴公子モデルか「キトラ古墳」阿部御主人と「高松塚古墳」石上麻呂。
   2.「"かぐや姫の里"と京田辺市について」・・・・・理事 小泉芳孝
      あゆみ、 視野の広がりと今後の展望。
雑誌『エプタ』Vol.23  エプタ編集室発行。会長宅へ取材  2005年9月号。

    「日本昔話の世界」1.浦島太郎(京都伊根町・浦島神社)、2.桃太郎(岡山・吉備津神社) 
            3.かぐや姫発祥の地
 日本民俗学・郷土史研究家 小泉芳孝

京田辺市郷土史会 会長  藤本富雄

  内容:京田辺の地名が「竹取物語」の多くと一。翁の家のある「山本」は古代の駅だった。
     古事記、日本書紀にかぐや姫のモデルが。「竹取物語」の作者はだれか?

京田辺市郷土史会 機関誌『筒城』第49輯2004年(平成16年)3月発行
  ○ 「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝 (京田辺市郷土史会 かぐや姫の里を守る会会長) 
     迦具夜比売命(かぐや姫)の大筒木 
       1.継体天皇の筒城と磐之媛の筒木
     「竹取物語」の舞台は、京田辺
       1. 「竹取の翁」の家は、「山もと」 の近く 2.飯岡から出土の鏡は、不老不死の神饌鏡 

   「今、京田辺がおもしろい」 太田文代 (京田辺市郷土史会 かぐや姫の里を守る会会員)
      かぐや姫ゆかりの里 ひとくちメモ 散策マップ

京田辺市郷土史会 機関誌『筒城』第50輯2005年(平成17年)3月発行
   第38回京田辺市民文化祭『竹取物語』"かぐや姫の里" 「京田辺」 小泉芳孝

     竹取物語』の『写本・復刻版・銅板・研究書籍展示   

●「夏休みの課題」で富士市の親子が京田辺を訪問 2005年7月
    郷土史会を訪ねて大住の月読神社などを見学
京田辺市郷土史会 『筒城』創立五十周年記念誌から2005年(平成17年)7月発行
    「キトラ・高松塚古墳」被葬者の貴公子説について 太田文代
       古墳の被葬者は、かぐや姫の貴公子モデルか
       「キトラ古墳」阿部御主人と「高松塚古墳」石上麻呂
    「かぐや姫の里」と京田辺市について
 小泉芳孝
       あゆみ  視野の広がりと今後の展望
 

かぐや姫サミット 開催地訪問 -ひとり旅のリポート- 2006年度活動
日時: 2005年(平成17年)12月6日(火)~11日(日)
     AM10:00~PM6:00  (5日はPM1:00から、10日はPM5:00まで、11日はPM4:00まで)
場所: 京田辺市立中央図書館 ギャラリー「かんなび」
    京都府京田辺市田辺辻40番地

内容: 文化と産業が融合した文化の香り高いまちをひざす七市長の「かぐや姫」「産業」「遺跡」「文化施設」などを紹介。
主催: 中口ひとみ (京田辺市郷土史会 かぐや姫の里を守る会会員)
訪問地 第一回 平成7年 奈良県広陵町     第二回 平成8年 岡山県真備市
     第三回 平成9年 京都府向日市     第四回 平成10年 鹿児島県宮之城町
     第五回 平成11年 静岡県富士市    第六回 平成12年 香川県長尾町
     第七回 平成13年 広島県竹原市

京田辺市郷土史会 機関誌『筒城』第51輯2006年(平成18年)3月発行
   竹取物語』の求婚難題説話と先住民族「隼人」 小泉芳孝
      1.かぐや姫の難題「燕の子安貝」
 2.先住民族「隼人」の天孫降臨神話
  竹取物語』"かぐや姫の里" 「京田辺」 京田辺市郷土史会 文化部会
     「竹取物語の舞台が京田辺市
に賛同頂いている先生の紹介
     吉田金彦、森浩一、門脇禎二、本田義憲、井上満郎、塚口義信、中西進、曽根誠一、
      矢代新一、井上仁一他の先生方。その他の新聞記者など。

  「かぐや姫伝承と磐の姫について」 有地淑羽   

『毎日新聞』の記事で「カメラリポートやましろ」紹介。
   駅がない「山本駅」「古代の交通要所」看板が残す
   京田辺三山木「かぐや姫」めぐる歴史も 2006年(平成18年)10月6日記事

◎紙人形劇と語りで綴る「竹取物語」の上演活動。2006年
     (京田辺市在住の人形劇団「ぷくぷく」朗読の会「萌え」) 

「竹取物語の里 "京田辺"」での2006年公演
2/21 京田辺市立桃園小学校/6年生授業
6/6  京田辺市中央図書館/京都子供文庫連絡会南部研究会
12/3 京田辺市福祉センター/児童青少年演劇まつり〜やましろのくに
12/18 京田辺市立薪小学校/6年生授業
他に12/2.3開催の「児童青少年演劇祭り〜やましろのくに」
 今年のテーマ「きずの竹」で企画しています。
  •出演作品/ミュージカル「竹取物語」、紙人形劇 と語りで綴る「竹取物語」
  •展示作品/人形劇「かぐやひめ」(八幡)

京田辺市郷土史会 機関誌『筒城』第52輯2007年(平成19年)3月発行
    竹取物語』発祥の地は"京田辺"その二  小泉芳孝
       トヅカ出土鏡は、不老不死の神仙思想 -絵柄に不老長寿薬と飛天の歌舞を描く-

『毎日新聞』の記事で京田辺市郷土史会の会報『筒城』を紹介された。
  竹取物語地元説を特集でかぐや姫は「京田辺生まれ」の記事
  かぐや姫の里"京田辺"も全国区になった・・・。  2006年(平成18年)5月23日記事

◎ 
   「かぐや姫の里」京田辺 講座に再登場!!受講者(無料)!!
      http://taketori.koiyk.com/take-eraani.html 京都府の「京都eラーニング塾」
  平成22年2月から4月に公開し、ご好評いただきました講座が終了講座として再登場しました。
  日本最古の物語と言われている『竹取物語』。
  「かぐや姫伝説」発祥の地とされるまちは日本全国に存在しますが、本講座では『古事記』を
  はじめとする数々の史料や出土品をもとに、京田辺とかぐや姫伝説のつながりについて解説。
   【講座名】“かぐや姫の里”京田辺  「かぐや姫の里」ビデオ動画講座
    講師 小泉芳孝さん(日本民俗学・郷土史研究家)
   【講座の種別】一般講座
   【受講料】  無料
   【インターネット講座】スケジュールと講義内容・サブテーマ
    ・第1回:(動画 約30分)
        『竹取物語』発祥の地は京田辺
      古文書に残された地名や現存する史跡から、竹取物語と京田辺のつながりについて解説。
    ・第2回:(動画 約30分)
      『竹取物語』の成立
       大住隼人の伝承から、竹取物語の原型や、不詳とされる物語の作者について考察。
        
ビデオの集録当時湯治は、紀長谷雄と見ていましたが、現在では空海に変わりました。
    ・第3回:(動画 約30分)
       飛天の絹織物と神仙思想の里
       かぐや姫が身にまとう天の羽衣や、物語の根底に流れる不老不死の「神仙思想」
       から、京田辺とのつながりを探る。    
   【問合せ先】京田辺市役所 総務部管財情報課
    電話0774-64-1313 E-Mail kanzai-joho@kyotanabe.jp


「竹取物語」特集 で京田辺が本命! 
                
『Mahoroba4号』2010年10月号


(特集タイトル)「未来に伝えたい日本の民話 其の二」
  ・「感謝」の昔話 『竹取物語』『花咲かじじい』ほか
(企画タイトル)「竹取物語ゆかりの地」
  5つの地域(京田辺市、広陵町、富士市、さつま町、さぬき市)を取り上げる。
  各地域が「竹取物語」のどの点を「ゆかり」としているかにスポットを当てている。
 ●京田辺市
  京田辺市が「竹取物語」発祥の地であるという説を、はじめて「竹取物語」伝説
  に触れる方にも分かりやすいよう、4つのキーワードを挙げ紹介している。
  1.地名・・・「山本」についての解釈 「なぜ京田辺の『山本』が発祥の地なのか」
       (写真:「山本」の名が「竹取物語」以前にあったことを示す資料)
  2.竹取翁の名前・・・「さぬき」ではなく「さかき」と読んだ点について
  3.京田辺と竹の関係からみる「竹取物語」の由来
  4.「かぐや姫は実在の人物だった」根拠について

「竹取物語のかぐや姫」

  私たちが幼いときに聞いた「かぐや姫」の話は、日本の各地で語り継がれるお伽噺でした。
つまり『口頭伝承のかぐや姫』です。歴史上のかぐや姫ではありません。
 「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」で始まるお話ですが、
竹取物語(小説)のように読み物として書かれた物語となると、単に「むかし、むかし」
ではなく、年代がはっきり書かれています。また、「あるところに」ではなく、文中に出てくる
有名な事件(壬申の乱)から推定して場所も飛鳥京か藤原京のある大和国と今までされてきました。
しかし、この『竹取物語』は、平安時代の嵯峨天皇の時に晃望台空海が書いた値のと見られ
、必ずしも大和とは言い切れません。むしろ平城京から平安京にかけての場所を考えねばなりません。
文中、「おじいさんがいました」とありますが、竹取翁の名前が「讃岐造(さぬきの造)」
と書かれていますが、最初は「さかきの造」と呼ばれておりました。現在出版されている本は、
全て間違っています。
 また『竹取物語』には、かぐや姫に求婚する五人の貴公子の官職と名前がはっきり書かれて
います。確かにかぐや姫は竹から生まれた架空の人物といわれていますが、京田辺市にいた
古事記に記されている垂仁天皇の后に迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)
とあります。
、姫に求婚する五人の官職と名前が『日本書紀』に記載されていることから、
この物語のモデルとなった場所、年代がわかってきます。これが『竹取物語のかぐや姫』と
『口頭伝承のかぐや姫』の異なるところです。

 それでは、『竹取物語のかぐや姫』の里はどこか調べてみましょう

五人の求婚者

 上記から、かぐや姫に求婚する五人の求婚者の官職・名前がはっきり書かれています。
江戸時代末期に『竹取物語考』と言う本で加納諸平が、この五人は奈良時代の「壬申の乱」に
関係のある人物の名前であるとして、その人物を
   石作皇子・車持皇子・右大臣阿倍御主人・大納言大伴御行・中納言石上麻呂足
と推定しました。
 ところで『日本書紀』に記載されている開化天皇の孫の讃岐垂根王と、垂仁天皇の妃と なった迦具夜比売命から、その二人に関係のある讃岐垂根王と迦具夜比売命が住んでいた ところは、大和国(奈良県)と考えられていました。  しかし、かぐや姫(迦具夜比売命)の父である 大筒木垂根王は、京田辺市の普賢寺(朱智荘)・興戸・飯岡・三山木(佐賀荘)の村々を 合わせた「大筒木郷」の地方の長と推定し、「竹取の翁」ではないかとと推定されます。 この地はかつて奈良時代に「山本駅」のあった所で竹取の翁が原文の「山もと」つまり 京田辺市三山木の通称名「山本村」なのです。

『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺 と題した展示
 京田辺市郷土史会による研究成果発表


 京田辺市郷土史会では、会員による機関誌『筒城』の数回にわたる発表
に見られるように(別紙参照)このほど理事会において京田辺が”かぐや姫
の里”として、大々的に発表するため、今年度の「第35回京田辺市民文化
祭」において ー『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺ー と題した展示を行
いました。
 展示は、京田辺市郷土史会による研究成果発表ならびに、現在日本で
”かぐや姫の里”としてシンポジウムを3年に一度開いている地域の紹介
も行われました。

    場所  京田辺市中央公民館 京田辺市郷土史会展示コーナー
    開催日時 2000年11月3日(金)9:00~5:00
                   4日(土)9:00~3:00   

 京田辺市民文化祭の「郷土史会コーナー」には、田辺の竹を利用した
”かぐや姫誕生シーン”や、かぐや姫の絵画をはじめ、京田辺市内の
”物語ゆかり”の場所説明図(地図・写真など)、それに日本全国の
「かぐや姫シンポジウム」として活動している自治体の紹介、さらに
市民向けの簡単な冊子の配布や参考書籍、会員による展示説明も行わ
れました。
 また京田辺市郷土史会としては、今後も京田辺市が”かぐや姫の里”
の町おこしとして展開する為に「市民アンケート」や「アイデア」を
会場で受付しました。



京田辺は『竹取物語』が熟成した場所
     
同大名誉教授の森浩一氏が「歴史シンポジウム」で発表

同志社大学名誉教授の森浩一氏は、京田辺市中央公民館で平成12年9月23日(土)に
開かれた歴史シンポジウム「いま南山城の古代史がおもしろい」で、「京田辺は『竹取物語』
が熟成した場所
として自身を持っていい」と発表されました。
 古代駅制・山本駅周辺の京田辺市が「竹取物語の発祥地」として平成3年に
京田辺市郷土
史会の会報
『筒城』に会員が発表し、その後の研究も追加して『筒城』に発表しています。
 この日本最古の物語『竹取物語』については、
日本の7市町村でも「かぐや姫サミット」など
を3年に一回開かれています。しかし同大名誉教授の森浩一氏が「京田辺は『竹取物語』が
熟成した場所として自信を持っていい」
と紹介されたことは地元として大変喜ばしいことです。
京田辺市が『竹取物語』発祥地では、と『筒城』に会員が発表し、地元の歴史を研究し続け
てきた甲斐がありました。


NHK
テレビが「かぐや姫の里”京田辺」を放映!

 NHKテレビは、京田辺市郷土史会の竹取物語に関する活動ぶりを平成13年3月13日(水)
午後6時30分からの「ニュースパーク関西」で放映されました。
 
放送内容は、京田辺市郷土史会が
”かぐや姫の里”として発表している古事記の
開化天皇の孫「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)」と その娘「迦具夜比売命
(かぐやひめのみこと)」の名をはじめ、「竹取の翁の家は山本の近くにある」ことなどを
地元の絵図や古文書などを写しておよそ5分間の特集で紹介されました。

NHKニュース「かぐや姫」 竹取物語シンポシウム (平成13年9月22日放送)
「かぐや姫を主人公とした『竹取物語』の舞台は、一般的に言われている奈良県広陵町ではなく、京都府南部の
京田辺市ではないか」という説を考えるシンポジウムが、京田辺市で開かれました。


『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺 シンポシウムと小冊子の発行
                             京田辺市郷土史会

 京田辺市は、奈良・京都・大阪の中間に位置し、古くから文化が栄えた所である。既に京田辺市
郷土史会編の『筒城』で発表されているように、最近、京田辺が「かぐや姫」伝承地であり『竹取物
語』発祥地であると考えられるようになってきました。郷土史会は、物語などを研究されている学者
の先生らにお招きして「竹取物語シンポジウム」を開催しました。

開催日時 2001年9月22日(土)
 午後1時~4時(開場12時半)
場所 京田辺市中央公民館    

千年の都、京都。ここを起点として近畿から国の内外に
  国の内外に及び、地名を広く
細かく蒐集し、比較調査して、地名を学ぶ会です。・・

日本の神話
  海幸彦と山幸彦とは

海で漁をする海幸彦の「ホデリ」と、山で狩りをする山幸彦の「ホオリ」は兄弟です。
ある日、弟の「ホオリ」は自分の狩りの道具を兄の「ホデリ」の釣り針と取り替えてもらって海へ
行きます。ところが、一匹の魚も釣れなかったうえ、兄の釣り針をなくしてしまい、怒った「ホデリ」
は、「ホオリ」が何をしても許してくれません。困った「ホオリ」は「シオツチ」という老人の教えに
従い、海の神の宮殿に行きます。「ホオリ」は海の神の娘「トヨタマビメ」と結婚し、陸であった
ことを忘れ、3年の間幸せに暮らしました。その後、「ホオリ」はようやく兄の釣り針のことを思い
出し、海の神の助けを借りてそれを見つけだしました。陸に帰るにあたって、「ホオリ」は海の
神から兄をやっつける方法を聞き、結局兄「ホデリ」を自分の家来にしてしまいます。

 この神話の中に秘めているものを考える必要があります。
 「ホオリ」は一般に大和政権といわれ日本の天皇の祖先とされています。一方「ホデリ」は黒潮
に乗って海を越えてやってきた移民の祖先だったようで、種子島や南九州に住み着いた大隈隼人
と阿多隼人とされています。古くは、熊襲と言われていました。

黒潮の海流に乗ってやってきた人達(民俗学者 柳田邦夫説)
 この海幸彦と山幸彦の神話は、九州南部で起こったこととされていて、古代の薩摩地方に
「隼人族」と呼ばれる、日本人とは異なる風習を持った人たちが住んでいました。
 彼らはマレー半島やインドネシアなどからやってきたのではないかと言われていて、この海幸彦
と山幸彦の話自体、インドネシアの神話とよく似たところがあるようです。
 隼人は、天孫降臨の思想を持ち呪術を身に付けていて竹細工の技術を持っていたといわれてい
ます。そして、隼人は、天武朝の頃に畿内に移住して大和政権の支配下に入り、都の防衛や天皇
の行幸時に先頭を歩き犬声を発して邪気を払ったと言われています。

 上記の古代の薩摩地方には「隼人族」は、6世紀のころ京都府京田辺市の大住に「大住隼人が住み着いた」ことが
正倉院の古文書に出ています。『竹取物語』の天孫降臨の思想は、これら大住隼人と関係し、また京田辺市の大住には、
延喜式内月読神社があり、またその近くには甘南備山があります。


「竹取物語」発祥の地、「かぐや姫」伝承のとちとして、「おそらく、この主張は正しい・・!」

先日、八代新一さんから自著の『古事記に笠沙が載ったわけ』高城書房と「天羽衣と八幡の神」抜き刷りをお送りいただきました。
よく九州と大和などの各地を結びつけて論調されていて、自分流に良くまとめておられる著書だと思います。 
 また矢代さんは、「天羽衣と八幡の神」では、文中で「隼人舞」の発祥地だけでなく、自らの土地が「竹取物語」発祥の地、「かぐや姫」伝承のとちとして声高に主張しているのがインターネットでも知られる。見てきたところから、おそらく、この主張は正しいであろう。
 と帰されています。
 私のこのホームページをお読み頂いて、「おそらく、この主張は正しいであろう」といって頂き大変光栄です。すでに色々な学者の先生方から一応の賛同を頂いていますが、記紀の神話部分と地域を研究されている方からの「おそらく、この主張は正しいであろう」と言って頂けたのは本当にうれしいことです。今から、ホームページにこの部分を貼り付けたいと思います。
 矢代さんは、古事記・日本書紀を中心に色んな先生の本をお読みになっておられます。また自著の本の中でも「はじめに」で小さいころに習った歴史を紐解き、戦後の教育改革と変化した歴史観の中から南九州に残る伝承をたどり『古事記』などとつき合わせ他地域とも比較検討しておられます。そして『古事記』に書かれている内容が、地元の地名などと関連しているとされています。さらに、荒木博之氏の著書巻末解説に触れ、「民間伝承は、記紀という国家の介入した史書に止められる前の古形を示しているものか、あるいは逆に書承から口承と、述べられている」と記しておられます。まさに私と同じような疑問や関心をお持ちのようです。
 私達が述べている「竹取物語」発祥の地・京田辺市にしても行き着くところは、矢代さんらと同じです。地域を歩いて調べずに今までに習ってきた文献だけに頼っていては、私たちの言う説が分かって頂けないのです。歴史はその当時の征服者または権力者から見て書いた部分が多く残されています。とくに神話の部分に関しては、全てを否定する学者が今まで多くおられました。しかし最近では、徐々に認められるようになりました。この為それ以外の立場の人が書いた文献や地元の資料それに伝承や史跡なとからの民俗学や、さらには考古学の分野からも出土した遺物などから比較検討する分野が重要視されてきました。
 
南九州の古代史の通説を疑い新たな扉を開いた作品。
『古事記に笠沙が載ったわけ
 小学校で古事記、日本書紀について学んだ時から、郷里「笠沙」が日本最古
 の書であるこれらの本になぜ出てくるのか疑問に思ってきました。定年退職し
 て時間に余裕ができたので今そのことを調べています。
  著者: 八代新一
  出版社:高城書房  ISBN:4887770073  サイズ:単行本 / B6判  343p  
  発行年月: 2001年 01月  本体価格:2,000円 (税込:2,100円)


<シンポジウム> メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」 

 

 山城は古くから文化の栄えた所です。京都地名研究会では、南山城における『記紀』や『万葉集』などの古代地名や人名について、研究者をお招きして「秘められた南山城の地名を探る」を開催しました。このシンポジウムにより南山城の古代地名を明らかにすることにより先進的な地域であったことがわかりました。

日本語と日本文化の起源を知るには、地名への関心が一つの大きな意味を持っています。文献の記録をもとに、土地の伝承に耳を傾け、南山城の古代地名を明らかにされました。

開催日: 平成15年10月19日(日)

時 間: 午前10時~16時30分 

場 所: 京田辺市立中部住民センター  メインホール(収容人員200人以上)

      〒610-0311京都府京田辺市草内美泥22-2 0774-64-8810

<交通アクセス> JR片町線 新田辺駅・近鉄京都線 新田辺駅下車

1.近鉄バスターミナルより 京阪宇治又は奈良交通バス(約8分)「草内口」下車すぐ

             草内行き8:30 9:00 9:30

2.JR新田辺駅より東へ徒歩約18分・近鉄新田辺駅より東へ徒歩約15分 

3.自家用車の方は、国道307号線 山城大橋の東側(駐車場30台)

   ■来聴歓迎(事前申し込み不用)、小冊子資料代:会員無料、非会員500円(当日徴収)

  10:00~ 10:10 総合司会:地名研究会 糸井道浩 (入口でシンポの質問用紙配布)

開会あいさつ:主催 京都地名研究会常任理事

                     共催 京田辺市郷土史会会長

【基調講演】 10時10分~12時30分 

10:10~11:20「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“息長(おきなが)”の地名を手がかりとして―」

           塚口義信 堺女子短期大学 学長 (日本古代史・文化人類学)

11:20~11:25  休 憩

11:25~12:05「竹取物語ゆかりの筒木について」

小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事 (日本民俗学 郷土史家)

12:05~12:30 「南山城の神社と伝承について」

石田天祐 日本語語源研究会 ㈱ギルガメシュ(幻想創作家 相撲史研究家)  

休憩12時30分から13時20分(昼食・シンポの質問用紙回収)

周辺食事出来る所少なく弁当持参して下さい。

【シンポジウム】 13時30分~16時30分

 テーマ「秘められた南山城の地名を探る」      

冒頭コメント:

「つぎねふ山代と河内との関係」-地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える-

吉田金彦 日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授

予定パネリスト:塚口義信 吉田金彦 小泉芳孝 石田天佑 斎藤幸雄

シンポジウムの司会  古川 章

シンポジウムの予定項目    途中の休憩でシンポの質問用紙回収      
1.神功皇后伝説と“息長”一族それに継体天皇「筒城宮」
2.南山城の古墳(椿井大塚山古墳・佐紀古墳群・飯岡古墳群)

山代の古墳出土鏡と被葬者は? 三角縁神獣鏡 神人車馬画像鏡

3.『古事記』に記す山代の地名・人名・祭神      
かぐや姫(かぐやひめ)大筒(おおつつ)木垂根王(きたりねおう)」「山代(やましろ)()大筒木(おおつつき)真若王(まわかおう)」「山代(やましろ)()()名津比(なつひ)()

山代(やましろの)内臣(うちのおみ)」「山代(やましろの)大国(おおくに)之淵(のふち)」「山代(やましろの)内臣(うち)之祖(のおや)

4.『竹取物語』にちなむ地名「山本」「筒城」「山崎」「甘南備山」「三室戸」など
5.山代の渡来人に関する地名について(酒・絹織物・鉄・発酵食品)
6.仁徳天皇「奴理能美の家と皇后磐之媛(いわのひめ)

7.山代・山背・山城、筒木・筒城・綴喜、山代川・和訶羅(わから)河・輪韓(わから)河・泉川(河)・木津川など

  質疑・応答 16時15分から16時30分

京都地名研究会事務局 綱本逸雄から連絡事項の報告 

閉会あいさつ:京都地名研究会から

懇親会:17時30分~ 事前申込者のみ

主催:京都地名研究会   

共催:京田辺市郷土史会 京田辺市社会教育課内 0774-62-9550 

後援:京田辺市教育委員会、㈱京都新聞社、京田辺市観光協会、かぐや姫の里を考える会、

協賛:関西元気文化圏参加事業 (「関西から文化力 POWER OF CULTURE」ロゴマーク使用)

【基調講演の内容】

テーマ「神功皇后伝説のふる里を探る―南山城の“息長(おきなが)”の地名を手がかりとして―」塚口義信

古事記や日本書紀それに風土記などに記されている神功皇后伝説や息長氏、あるいは応神天皇や継体天皇などの古代天皇を研究している塚口義信氏から「古代山城南部の歴史」、特に「南山城の“息長”一族」についてお話ししていただく。塚口氏によると、神功皇后の系譜や伝承は、滋賀県坂田郡の息長氏が有力になる6世紀以前から山城南部の“息長”一族によって伝承されてきたものであり、この一族は息長帯比売の陵墓伝承のある、大和三大古墳群の一つとして有名な佐紀古墳群と深い関わりを有しているという。京田辺市にある普賢寺の山号は息長山であり、朱智神社の祭神「山代之大筒木真若王」(「山代」「筒木」に由来する名前)をはじめ神功皇后の系譜に山城南部の地名に由来する名が多く登場する。これは、山城南部の“息長”一族がこの伝承を語り伝えてきたからであり、6世紀初頭に継体天皇が筒城宮に来たのも、この一族と近江坂田郡の息長氏が継体を支援していたからである。

“息長”“綴喜”“高木”“綺田(かばた)”などをはじめとする南山城の地名を手がかりに、神功・応神伝承の謎を解き明かすとともに、4~6世紀における山城南部の政治集団とヤマト政権(畿内政権)との関わりについて考察していただく。

テーマ 「竹取物語ゆかりの筒木について」 小泉芳孝

京田辺市に伝わる伝承や社寺の本源記、それに個人が持っている古文書を見ていると。実に古く神代の時代のことが多く書かれている。

これらの内容が何時の時代に、どのように、どういう意図を持って書かれたのか今まで解からなかった。ところが最近、堺女子短期大学の塚原義信学長の著書『やまと王権の謎をとく』などを読んだ時、今まで何となく目にして来た地元に伝わっている伝承や、古文書などに書かれていることが私の頭の中で繋がり、『古事記』に記す山代(やましろ)()大筒木(おおつつき)真若王(まわかのみこ)」「大筒木(おおつつき)垂根王(たりねのみこ)」や、『日本書紀』に記す「筒木の韓人、名は奴理(ぬり)能美(のみ)」「仁徳天皇の歌と磐之媛の答歌」それに、その後の出来事などが私の頭の中で具体的なイメージとして浮かび上がってきたのである。

それとともに最近、京田辺市郷土史会で取り組んでいる『竹取物語』かぐや姫の里“京田辺”の『古事記』垂仁記に記す「大筒木(おおつつき)垂根(たりねの)王之女(みこのむすめ)迦具夜(かぐや)比売(ひめの)(みこと)」も架空の人物でなく「筒木」(筒城・綴喜)に居住していた人で、大筒木垂根王は筒木を舞台に活躍した実在の人物であったことがわかった。

また、延喜式内朱智(すち)神社の祭神や息長山普賢寺それに甘南備山、継体天皇の「筒城宮」などから、『竹取物語』ゆかりの筒木が山代地域において重要な位置を占めていることに気付いた。

テーマ 「南山城の神社と伝承について」 石田天祐

私は、南山城に関する記紀神話や万葉集それに祭神など言語学の分野から迫ってみる。現代の山城における地名は、古代日本語・やまとことば・中国語・古代朝鮮語・満州語などあらゆる分野の言語から分析しないと解明できない。各地の地名や人名それに祭神などについては、派生語や母音交替形・同音同義などから言語や語根を解読していかなければならない。

それらの中から南山城における各種神社の伝承について地名や祭神がどのようにかかわっていたのかお話しする。特に継体天皇や仁徳天皇と渡来人との関係や、歴史上は神話とされている神社の祭神など言語学から見た南山城の歴史を述べる。この地域は、歴史上かなり古くから栄えていたところであり一般の歴史書には記されていない。しかしここには古くから南方や中国大陸それに朝鮮半島から渡来人が住み着き神功皇后や息長足姫に関係する地名や伝承が残っている。

【シンポジウム冒頭コメント】

テーマ「つぎねふ山代と河内との関係」-地名から仁徳・継体の筒城行幸の跡を考える- 吉田金彦

 京田辺市域の地名を調べて山代と山背の国名の由来を知り、奈良のほかに河内との関係が深いことを考えた。

そして枕詞ツギネフの意味も地名山代・山背の意味に即して決定することができる。伝承時代である仁徳天皇は、淀川・木津川を経て筒城入りした。また継体天皇は、河内の国から山越えで山背にやってこられた。それらは地名で推理することができるのである。

 

 

パネリスト 「流域をめぐる史跡・伝承」 斎藤幸雄

木津川をめぐる歴史や文学(古代~近代)にこだわり、ロマンを求めてその伝承や史跡を探訪してきた。そういう中で多くの「南山城逃避行」現象を見いだした(古代より近世の徳川家康・熊沢蕃山にいたる)。磐之媛などもその一人である。市辺押磐皇子の遺児顕宗・仁賢天皇もそうだが、継体天皇もその視点で見ると面白いのではと思ったりしている

また古伝承を、「水」を視点にしてとらえてみるのもその謎を探るうえで面白い。田辺の神功皇后不違池伝説、精華町の船長(ふなおき)伝説、山代大国之淵の娘(かに)戸辺(はたとべ)にまつわる亀石伝説、武埴安彦・忍熊王・莵道稚郎子等々。その背後に水系氏族の息長氏・和珥氏が介在、葛城氏や丹波の氏族もかかわ

 専門研究家ではないので、南山城の歴史ロマンを楽しむ立場からシンポシウムに参加できたらと思っている

シンポジウムの司会  古川 章

洛南艸舎文庫『洛南艸舎手づくり消息』を主宰し、第43号を数える。京田辺市役所で37年勤務し、今まで『京都府田辺町史』『田辺町郷土史社寺編』『田辺町近代誌』『田辺町近世近代資料集』の刊行。京田辺市郷土史会の『筒城』などの編纂や事務局を担当した。

今回シンポジウムの司会を担当することになり郷土史の素晴らしい歴史を各分野の専門の先生方や郷土史家の方たちと共に研究できることを嬉しく思っている。

  「新しい視点と展開に期待」

南山城地方は、近畿の中心地であり、加えて関西学術研究都市として20世紀は脚光を浴びた。そのため開発も著しく進み、考古学の分野や市町村史誌の刊行による古文書類の発掘なども進んだ。しかし、21世紀は、大陸からの渡来人の足跡など、黒潮文化の解明を深めなければならないと思われる。こうしたとき「秘められた南山城の地名を探る」は、自宣を得たテーマといえる。

 バネラーの諸先生方の新しい視点として南山城のこれまでの南北軸文化に加えて、東西軸文化の幕開けにふさわしいシンポジウムであろう。

「京都地名研究会」設立の主旨                                          
                                   京都地名研究会  代表理事 吉田金彦

 地名は固有名詞であり、普通名詞という二重性を持っている。
地名は、土地に関わりを持つ人たちの、様子を知ることが出来る。つまり、土地に付けられた名前であり、土地との関わりをもつ人達の固有の名前です。また、土地の関係を物語る媒介物である。
 地名の研究については、今まで歴史学、地理学、民俗学、国文学など、色々な分野から研究がなされています。この地名が新しい住宅開発などによって現在消滅の危機に瀕しています。全国の大字および小字の地名が、消え去っています。
 明治維新のときの廃仏棄釈にも匹敵すると言う学者の先生もいます。これら地名消滅の危機からすくうためにも、地名への強い関心を喚び起こす必要があります。最近、市町村合併の動きが出ていて、市町村の地名が焼失してしまいそうです。
 色々な知恵を出し合って祖先から伝わっている地名を残すように工夫して頂きたいものです。そうでないと一度なくなった地名は、二度と復活することがなく忘れ去られる運命になるからです。
 合併により市町村名や地域の個性や地域性が薄れて、愛着がなくなるという懸念があります。合併により名前が一部なくなるので、この機会に地域の歴史や伝統文化などを貴重な資源としての活用を図り、住民自らが主体となって魅力あるまちづくりを進めねばなりません。      平成14年3月1日

「京都地名研究会」発足にあたって                 

                                            「京都地名研究会」設立総会挨拶から   代表理事 吉田金彦 

                                                                        

新緑の良い季節を迎え、皆様、益々ご健勝の程、お喜び申し上げます。

本日はここに、京都地名研究会発足に当たり、御用も多々御ありの中を、態々ご来会賜りまして、誠に有難うございます。各地の先輩各位や、府下内外の多くの有志のご声援によりまして、漸く、会の出発できます事は、この上ない喜びであり、幸せな事として、同慶の念で一杯であります。

京都地名研究会なるものは、実は、今から十五年前の昭和六十二年に一度、設立された事がありました。その提唱者は京都市の郷土史家松本利治翁で、研究会もその六月に発足したのでしたが、氏は大作「京都市町名変遷史」の研究に取り組んでおられ、暫くの研究会も、氏の逝去と共に続かなくなりました。私共の非力から、氏の後を継続できなかった事は、とても残念な事でしたが、しかし十五年後の今日、振り返ってみて、その間が失われた空しい時間だったとも、思われません。開設五年の語源研究会で忙しくしていた私の研究内容は、その当時結構、地名がテーマになってもおりました。

昨年十月に川崎市で全国地名研究者大会、同じく十一月に京都で日本語語源研究会、共に創立二十周年を迎えて、それぞれに記念の大会が開催されました。同時スタート兄弟学会のような関係でもありましたから、全国地名を主宰なさる民俗学の谷川健一所長を迎えての語源大会は、大いに盛り上がりました。その折に谷川氏の強い要請がありまして、矢張り、京都にも地名の学会を、と言う声が燃え上がったしだいです。京都地名研究会の名が、ここに再び復活することになったわけで、思えば、谷川氏の激励の賜物だったと、厚く感謝しております。

語源研究者の中にも沢山の地名研究者が居られる。京都には大学人も多いし、歴史や地理の話題には事欠かない。京都府下一円を中心に、及ぶところ遍く広く、府市町村民挙って集まり、地名のことを勉強しようと言う事になりました。

地名は、其処に人が住んでいます。人が住み、暮らし、生産したり、遊んだり、そして死んでゆく所です。そんな大地に名付けして、地名を日常茶飯事に使っています。ですから、地名の主人公は住民です。私共は、すっかり慣れっこになって、ややもすると無限の恩恵を受けている大地を忘れがちな様に、此れ無しに暮らせない必需の地名の大切さを、忘れていませんか。主人公

地名は大地に刻まれた歴史だ、とよく言われます。それ程重要なのに、スローガンほど地名学が、現代日本の科学の中で、確固たる地歩を占めてはいません。重要性は認知していても、学問体系に沿わない為か、これを正面から取り上げる人が、きわめて少ないのです。地名研究は従来、地理学や歴史学、その他諸学の関連的研究として、また熱心な郷土史家達の努力によって、行われてきました。その成果は、今日、大きな地名辞典として幾つか出来ていますが、今の日本の大学に、地名大学や、地名学部・地名学科など聞いた事がありません。国際交流とか、学際研究とか、総合研究とか、色々に叫ばれてはいますものの、地名に着眼し、そこを基点に発信する着想は、まだ無いようです。

ただ嬉事は、近年、その閉塞状態を打開しようとして、環境学とか、地域学とか、そういう名で呼ばれる提唱が、あちこちで起こってきた事です。もう従来の学問の方法論では駄目だ、と言う事に気づいたのでありましょう。そして、私の立場から、口幅ったい事を言わせていただけるなら、更にもう一歩踏み込んで、それら環境学なり、地域学なりに、地名という言葉の視点を重視して、それを是非加えて欲しいと言う事です。言葉の視点から、歴史を見る、地理を見る、と言う事で、歴史や地理の真相に迫れる事が、案外に多いのではないでしょうか。専門の歴史や地理学者が、地名については誠に幼稚な意見であったり、誤解をしている例がくないのを見るに付け、遺憾に思うことがしばしばです。此れの責任は、現時点であえて言えば、国語学や言語学に於ける地名分野の研究の欠落にありと言えましょう。

以上のような反省に立って、諸学手を繋いで、同じ目線で等距離に、地名を対象として調査・研究し、その過程と成果を公普及させ、学習・教育にも応用してゆきたいと、考えます。

地名研究は、自分の足元から。そして、歩いていく先々の地名まで。懐かしい故郷の地名、旅先で見つけた珍しい地名、変わった名前や読めない漢字の地名など、ぐるりにある地名の謎に、挑戦してみましょう。そこから、きっと新しい知識が開け、ゆとりのある心が育まれていくと、思います。

地名は、寺社が文化財であるのと同じに、貴重な文化財です。日本の地名は、日本人の心のこもった<心的文化財>でありま大小に関わらず、有名無名に関わらず、どこの地名もみな文化遺産です。ですから、これの取り扱いには良く勉強して、取り掛かりましょう。その為にも、データを保存し活用する施設、地名資料館と言うようなものが、京都府には当然、必要になりましょう。

京都における地名研究は、ソフト面でード面でも、あらゆる分野にわたる重要な意義がありますが、全てこれからです。意義有る本日の発会に、ご来駕賜りました来賓、メッセージを頂きました各位、ご多用中をお集まりいただいた会場の皆様に、篤く感謝申し上げ、今後とも宜しくお願い申し上げます。 平成14年4月28日(日)


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 ■ 当日配布した冊子のないようです。140ページにも登る貴重な資料です。
別冊1号(京都地名研究会)
シンポジウム 
「秘められた南山城の地名を探る」

     編集・発行:京都地名研究会
     Kyoto Circle Toponymy 

      編集協力:京田辺市郷土史会
編集後記

 京都地名研究会の第6回例会は、特別企画による公開シンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」を京田辺市で開催されることになりました。今回のシンポジウムは、南山城の歴史の謎に迫るべく南山城スペシャルとして神功皇后や継体天皇などの研究者として最先端を走っておられる堺女子短期大学の塚口義信学長やこの地域を研究しておられる京都地名研究会員をパネリストとしておこし頂きそれぞれ専門の分野から報告して頂くことになりました。

南山城には、かなり古くから渡来人によって先進的な文化が伝わり栄えたといわれています。特に筒木の原や普賢寺谷では、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住していたといわれ、記紀などに明記されています。また、今まで神話と言われていた大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王などの時代においては、平安時代に作られた『竹取物語』に「迦具夜比売命(かぐや姫)」がいて実在の皇后であるなど最近興味ある発表が地元の郷土史会から報告されています。

この冊子は、メインテーマ「秘められた南山城の地名を探る」における基調講演とシンポジウムのレジュメ及び資料として作成いたしました。編集担当者としては、当初レジュメのつもりで取りかかったのですが、先生方の熱意により沢山の貴重な資料をご提供いただき立派な冊子(別冊1号)に仕上げることが出来ました。各先生方のご協力により貴重な研究資料を提供して頂きましたことを、この場を借りてお礼申し上げます。

 この冊子が南山城地域における歴史解明の為の資料として役立てることが出来れば幸いです。

    

別冊1号(京都地名研究会)

シンポジウム 

「秘められた南山城の地名を探る」

       平成15年10月 1日印刷

          平成15年10月10日発行

   発行 京都地名研究会

   編集  京都地名研究会

  編集協力 京田辺市郷土史会 

           【京都地名研究会代表理事】

600-8429 京都市下京区御供石町360
                      日本語語源研究所 吉田金彦

     

 ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。

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別冊1号(京都地名研究会)
シンポジウム 
「秘められた南山城の地名を探る」

   平成15年10月 1日印刷
    平成15年10月10日発行
   発行 京都地名研究会
   編集 京都地名研究会常任理事 小泉芳孝
   編集協力 京田辺市郷土史会

 ■冊子の特別販売について

 この冊子は、メインテーマ「秘められた南山城の
地名を探る」における基調講演とシンポジウムのレ
ジュメ及び資料(A4サイズ 134ページ)として
作成いたしました。編集担当者としては、当初レジ
ュメのつもりで取りかかったのですが、先生方の熱
意により沢山の貴重な資料をご提供いただきました
ので別冊1号として仕上げることにしました。各先
生方のご協力により貴重な研究資料を提供して頂きましたことを、この場を借りてお礼申し上げます。
 この冊子が南山城地域における歴史解明の為の資料として役立てることが出来れば幸いです。

 なお、この冊子の作成にあたっては、編集者個人の費用で作成しました。
 このため書店では販売されていません。このたびこの冊子をほしいという方が多数ありましたので、
郵便振された方にのみ残部を郵送で特別にお送りすることにしました。
 この冊子は、関係者の間で3000円の価値があると言われています。また、この分野を研究されて
いる方にとっては、9000円の価値があるとも言われています。
 申し訳ありませんが、先着順とさせて頂きますので下記をお読みになってお手続き下さい。

※上記の本を注文された沢山の全国の方からお礼のメールや手紙を沢山頂いています。その中から前橋市の女性から下記の丁重な絵葉書を頂きました。
「前略 早速地図を片手に読ませて頂きました。年4・5回古都の遺跡を歩きに行きますが山城は恭仁京や大塚山古墳あたりまでしかいったことが無く、こんなに大切な「ウチ」「息長」「筒木」があった・・・と驚いてしまいました。現在の府県の境界で全く見えない部分があったこと反省しきりです。竹取物語もなるほどです。皆様の益々のご活躍をいのります。早々
 全く上記の通りです。歴史教科書などには一切掲載されていませんので、本で勉強された学者の先生方も一部を除いてこの地域の歴史を全く知らないのです。ですから地元の教育委員会ですらそんな物は、架空のものであって神話だという始末です・・・。ある人から聞いたのですが、地元京田辺市役所の広報課に「この地域に竹取物語の話がある」というのを聞きつけて遠くから訪ねてこられた方に対して「あれは一部の人が言っていることで関係ないのです」と話されたていたということです・・・。たとえ古事記に記されていても一切事実でないとおっしゃるのです。古事記を読みその地域に当てはめて古文書などの歴史を誰かが書いたのだ・・・とも言われたりしています。わたしは、全く逆でこの地域にそのような歴史があったから代々住んでいる人達が話し伝えてきたものだと見ています。古事記という一番古い歴史書に記されているのに、何故か教科書に載っていることだけが歴史だと教えられて来たのだからです。古事記は、本当に嘘ばかり記されているのでしょうか。もしそうであるなら古事記以後の全ての古文書類も全て嘘と言わねばなりません。この地域をくまなく歩いておられる京都地名研究会代表理事 吉田金彦氏
(京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授、日本語語源研究会代表 姫路独協大学名誉教授)は、学者の皆はそんな細かいところまで勉強していては学者になれないし面倒だから調べないのだとおっしゃっています。


タイトル 別冊<シンポジウム>「秘められた南山城の地名を探る」
                 発行 平成15年10月19日
■上記のシンポジウム資料(レジュメ兼資料)を、
一冊3000円(本代+郵送料+封筒込み)にて残部を特別販売することにしました。ただし
メールで事前に希望された方のみ2500円(本代+郵送料+封筒込み)にて残部をお送り
することに致します。  
下記の郵便振込 講座番号にお送りくださった方のみ、特別割引の2500円でお送りさせて頂きます。

 ====  切取り線  ============  切取り線  ====

先着順です、売り切れの時はお許し下さい。  
          名 前          
          郵便番号
          住 所          
          電話番号                  FAX番号  
          Eーmail          
メールで事前希望者のみ、一冊3000円のところを特別割引2500円(本代+郵送料+封筒込み)
でお送りいたします。下記の郵便振込 講座番号へお送りください。

 ※お問い合わせは、ここへメールをお送り下さい。 


  『郵便振込』 講座番号 00920-7-40389
          加入社名 小泉芳孝
          通信欄  別冊 シンポ資料冊子 希望

     なお発送は、上記が当方に到着しだい発送させて頂きます。  


村瀬さまへから御礼のメールをいただきました。
Sent:
Thursday, May 20, 2004 12:00 PM
Subject: Re: 別冊 シンボ資料冊子をお願いします
昨日「シンポジウム 秘められた南山城の地名を探る」の冊子を頂きました
素晴らしい内容に感服しました 
この2,3日当方の紙上で「卑弥呼の畿内説」が盛んに話題になっております
冊子の内容もそうした事柄を背景に読んでいくと興味津々
今後ともご指導の程をお願いします まずは受け取りの報告まで 

隼人サミット「古代隼人文化を語る」
                                     鹿児島県隼人町
目的 
 隼人町一帯は古代日向国の大隅、阿多の中央に位置し、曽の国と呼ばれていました。

 この地域は一宮正八幡宮である鹿児島神宮を持ち、海幸・山幸伝説など神武東征に係る伝説が数多く
存在します。鹿児島神宮には、山幸が龍宮から持ち帰ったとされる、潮満玉と潮引き玉が保管されてい
ると言われています。また、天皇の即位の礼に舞われるとされる隼人舞も千年もの時代を経た現在でも
受け継がれていると言われます。

 この隼人舞が庶民化し、祭事などで舞われ、せばる隼人舞・京田辺市の隼人舞、さらに猿楽・能楽へと
進化したものと言われています。これらの事が物語る古代隼人の文化とは、古代日本の形成に大きく影
響した事が伺えます。
 今回の隼人サミットでは、隼人に関する講演やシンポジウムのほか京田辺市の隼人舞や鹿児島神宮の
隼人舞の競演を予定しています。シンポジウムでは、考古学者や隼人研究者それに民俗学者らとともに、
隼人の竹と文化、機内隼人の歴史、海幸・山幸の神話それに隼人と竹取物語との関係などの隼人の文化を
掘り起こすことになっています。

 開 催 日 : 平成16年8月1日(日)
  開催時間 : 午前9時45分~午後4時15分
  開催場所 : 隼人町農村環境改善センター(隼人町役場近く)
        鹿児島県姶良郡隼人町内山田1丁目14番10号
       入場無料 定員600名 要申込み 
        問合せ先 隼人町立隼人塚史跡館 0995(43)7110


 サミット出演者
 特別講演  10時15分~
  森 浩一 考古学者・同志社大学名誉教授

シンポジウム13時30分~
 進 行 役  原口 泉 鹿児島大学法文学部教授
 指導助言 井上満郎 京都産業大学教授
 パネラー 下野敏見 民俗学者 元鹿児島大学教授 
      小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事
      角田博文 奈良県五條市阿田郷土史探求会幹事長
      藤浪三千尋 隼人町教育委員会

《開催スケジュール》
  ビデオ観賞「南の疾風・隼人」ダイジェスト 
  特別講演 森 浩一「隼人と日本文化」
  隼人舞Ⅰ 鹿児島せばる 休息 隼人舞Ⅱ京田辺市
  シンポジウム 13時30分~15時50分
  テーマⅠ「日本神話の中の隼人」海幸・山幸などの神話、隼人と竹
  テーマⅡ「機内に移住した隼人」京田辺・阿田への移住、竹取物語
  隼人舞Ⅲ 鹿児島神宮 15時50分~ 

《参加者略歴》
  ☆ 森 浩一 同志社大学名誉教授
     1928年大阪市生れ 同志社大学文学部卒業。
     専攻:日本考古学 日本文化史学
     著書:『交錯の日本史』(朝日新聞)『日本神話の考古学』他多数
  ☆ 原口 泉 鹿児島大学法文学部教授 
     著書:『鹿児島歴史散歩』他 
  ☆ 井上 満郎  京都産業大学教授
     京都大学卒業 大隅隼人の移住先に在住
     専攻:日本史 考古学(日本古代史研究)
     著書:『古代・中世の政治文化』『平安京』他多数
  ☆ 下野 敏見  元鹿児島大学教授
     鹿児島県知覧町出身 鹿児島大学文理学部卒 
     62年、第一回柳田国男賞。90年「東シナ海文化圏の民族」で南日本出版文化賞。
     著書:『隼人の国の民族史Ⅰ・Ⅱ』『南九州の伝統文化Ⅰ・Ⅱ』他多数
  ☆ 小泉 芳孝 京田辺市郷土史会理事
     1947年京都府生れ 近畿大学法学部卒業・佛教大学文学部卒業
     職歴:京都放送勤務
     専攻:日本民俗学・郷土史・京都民俗学談話会会員 京都地名研究会常任理事
     著書:『稲作民族の源流 日本・インドネシア』
     投稿:『竹取物語』かぐや姫の里京田辺市
  ☆ 角田 博文 奈良県五條市阿田郷土史探求会幹事長
  ☆ 藤浪 三千尋 鹿児島県隼人町教育委員会


 


「かぐや姫文庫」館長が来訪し見学 2003.5.24

竹原市に「かぐや姫文庫」の館長が京田辺市へ訪れ、竹取物語ゆかりの地を見学されました。

山口真一氏さんの紹介
    ヒューマン・クリエイト・コンサルティング 所長

  プロフィール
昭和32年 広島県尾道市生まれ
昭和56年 慶應義塾大学商学部卒 マーケティング専攻
       ホンダ系自動車販社入社
昭和62年 米国IBM系日本法人入社
平成元年 住友ビジコン(現日本総合研究所)入社
平成 6年  ヒューマン・クリエイト・コンサルティング
       を設立し、経営指導活動に従事
       多くの若手営業マンを全国No.1に育成

 11月2日、尾道ゆかりの作家の文献を集めた「尾道文庫」をオープンした。千光寺山の中腹に住居を構える島居勝さんの協力を得て、同家の離れ家を改装。山口さんが収集した志賀直哉に関する文献・資料220冊などを収め一般公開をはじめた。
 経営コンサルタントの事業を営む傍ら、出身地尾道の歴史、文化に関心を寄せる山口さんは以前から林芙美子らゆかりの作家に関心を深め、関連の文献も多数集めて来た。「志賀直哉についても同様で、今年は同氏の30回忌にも当たることから、これを期しての文庫開設となりました」。
 機会があれば古本屋などに飛び込み、地道に収集活動を続けて来た。尾道文庫はその集大成で、北高時代の同級生で地元の寺の僧りょを務める加藤慈念さんとの共同企画で実現した。
 志賀直哉は明治45年から2年近くを尾道で過ごし、当時の生活模様なども織り交ぜた小説「暗夜行路」(新潮社)は代表作品。以後「早春」(小山書店)や「雪の日」(新潮社)など120の著述を残し大正期の青年たちに影響を与えた。こうした初版、復刻版120冊に加え、関連の研究書籍120冊を収集。図書館など公的な機関が予算を付けて、ともすれば在り来たりの収集に終わるのに対し、山口さんは直哉の知人らの遺族と会い、貴重な資料を譲ってもらうなど文字通り「地を這う」努力で集めたものが多い。
「個人の収集ですから、予算は限られています。でも、情熱でもって、幾らお金を積んでも譲って頂けない貴重な資料(書簡など)を集めることができました」。 開館は金、土、日曜日と祝日のいずれも午前11時から午後5時。入場料は200円。貴重な本を手に取って読むことができるほか、来年からは貸し出しにも応じる計画。
本業は経営コンサル
 山口さんは数年前、竹原市にオープンした「かぐや姫美術館」(加藤慈念館長)に付設する「かぐや姫文庫」の館長も務めている。「そんな事ばかりしているせいか、どこか書生くさく見られることがあるんです」と苦笑い。現実は多くの上場企業の経営顧問を務めるなどビジネス業界では広く知られた人でもある。慶大商学部を卒業後、入社したIBMや大手経営コンサルタント会社でマーケティング戦略を研究。平成6年、郷里の尾道に戻って経営コンサルタント事務所「ヒューマン・クリエイト・コンサルティング」を開設。1ヵ月のうち25日は東京、大阪などへ出張、講演会なども精力的にこなしている。▽ヒューマン・クリエイト・コンサルティング(尾道市天満町13-9-505、TEL0848・24・2180)。


ホームページを御覧になって下記のメールを頂きました。
     中山 幸治さん  2001年3月17日 17:58
ホームページ見ていますと、同志社大学の方々によるホームページですか?
民俗学やなにやかやと興味のある分野がいろいろ並んでいますね。とりあえず竹取物
語だけは通読させていただきましたけれど、なかなかおもしろいですね。しかし、竹
取物語は奈良県広陵町が本家だとばかり思っていました。広陵町に、讃岐神社という
鄙びた神社があって、確か竹取物語の旧跡ということになっていました。しかし、詳
しく調べるについては生半可なことではいけないので大変だと思いますが、頑張って
ください。
それから、書籍の案内の件、私のホームページの趣旨もあって、今のところ一応自分
が読んだものしか掲載しないことにしています。しかし、竹取物語のところは、非常
に興味があるので、佐牙神社は一度行ってみることにします。それと筒城宮跡と・・・。
観音寺のあたりはよくうろうろしています。聖武天皇の勅願寺だったから、相当大き
な寺だったと思います。多々羅という地名もちょっと気になっていました。
あのあたりは結構おもしろいところだと思います。西に国道307号線沿いに真っ直ぐ
行ったら、枚方の百済王寺跡にぶちあたるし、東に木津川を越えると、橘諸兄の井出
寺跡とか、蟹満寺、高麗寺跡があって、相当文化度の高いと
ころだったでしょうね。渡来系の文化が特に目立ちます。20年も前に金達寿氏の
「日本の中の朝鮮文化」という本を読んで、このあたりのことが特に詳しく書かれて
いたことを思い出しました。その金さんも数年前に亡くなられたんでしたね。
それから、確か筒城宮の継体天皇も、近江北部の渡来系の息長氏あたりと関係が深
かったんではないでしょうか。同志社には、考古学の森先生がいらっしゃるので、お
もしろい情報が選り取りみどりというところでしょうか。
私のホームページはまったくの道楽なので何の役に立ちませんが、貴殿の御本はきっ
と世間のお役の立つものと存じます。ご尽力に敬服いたします。


Aさんからメールを頂きました。

  7/19-24シルクロードの旅でお世話になりました今中です。旅行中は多くの興味
深いお話を伺い、ありがとうございました。敦煌の遺跡をはじめ多くの史跡を見ることが
できた感動もさることながら、竹取物語の発祥地、仏教伝来ルート、米の伝来ルート
など興味深いお話を伺うことができ、今回の旅はこれまでに無い充実したものとなりま
した。帰国後早速、ホームページを拝見し、多岐に渡る詳細な内容とご活躍ぶりに感心
しました。中でもやはりかぐや姫考に最も感心しました。
かぐや姫の昇天部分は仏教の来迎図がベースではないか、羽衣説話、五難題説話を
接合し日本の実在モデルと入れ替え仏教、神仙知識を調合した漢文物語ではないか
などの記述は、作者の壮大な知識、才能に感嘆します。果たして一人の作者でできたもの
か、何を目的に書いたのか、仏教の教えを大衆にわかりやすく説くためのものなのか、
藤原京時代の天皇や貴族社会を暗に批判するためのものなのか、しかしこの時代は文章
表現の自由がこんなに許されていたのか、など次々と疑問がわきます。竹取物語は宇宙的
ロマンの世界に大衆を引き込む、もっと評価されて良い大作ではないでしょうか。
> 今後チベットなどに行かれ、新たな発見をされ、さらにかぐや姫考を肉付けされる
ことを期待しております。
> かぐや姫考のバージョンアップ、テレビ放映、出版などされましたら、拝見いたし
たくお教えいただければ幸いです。ご健闘をお祈り申しあげます。 今中哲男


特集「日本昔話の世界」かぐや姫発祥の地"京田辺市"
  
 雑誌『エプタ』Vol.23 エプタ編集室発行。2005年9月1日発行。
1.浦島太郎のふるさと (京都伊根町・浦島神社)
   浦島神社宮司 宮嶋淑久
  浦島太郎の子孫
   丹後歴史文化研究会代表 森恭満
   郷土史研究家 森茂夫
2.桃太郎と岡山の温羅伝説 (岡山・吉備津神社) 
   郷土史家 市川俊介
  桃太郎に魅せられて103歳
   桃太郎資料館館長 小久保桃江
3.かぐや姫発祥の地"京田辺市"
   日本民俗学・郷土史研究家 小泉芳孝
   京田辺市郷土史会 会長  藤本富雄
  内容:京田辺の地名が「竹取物語」の多くと一致。
     翁の家のある「山もと(本)」は古代の駅だった。
     古事記、日本書紀にかぐや姫のモデルが。
    「竹取物語」の作者はだれか?紀長谷雄ではないか。

4.コラム「おとぎ話の不思議」
5.昔話の楽しみ
   東京学芸大学教授 石井正己
6.おとぎ話に秘められた歴史のミステリー
   歴史作家 関裕二
7.アジアで見つけたそっくりなお話し
   国立民族学博物館名誉教授 君島久子

《雑誌問合せ先》東京都新宿区新宿5-12-11-903
         エプタ編集室 TEL 03-3350-7232 FAX 03-3350-7826
         第23号 定価700円(税込み)

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■「竹取物語」特集 で京田辺が本命! 
                
『Mahoroba4号』2010年10月号


(特集タイトル)「未来に伝えたい日本の民話 其の二」
  ・鶴の恩返し 解説、関連スポット、書籍紹介
  ・エッセイ「昔話と恩返し」三浦佑之=文
  ・インタビュー 常光徹  
  ・「感謝」の昔話 『竹取物語』『花咲かじじい』ほか
(企画タイトル)「竹取物語ゆかりの地」
  5つの地域(京田辺市、広陵町、富士市、さつま町、さぬき市)を取り上げます。
  各地域が「竹取物語」のどの点を「ゆかり」としているかにスポットを当てている。
 ●京田辺市
  京田辺市が「竹取物語」発祥の地であるという説を、はじめて「竹取物語」伝説
  に触れる方にも分かりやすいよう、4つのキーワードを挙げ紹介している。
  1.地名・・・「山本」についての解釈 「なぜ京田辺の『山本』が発祥の地なのか」
       (写真:「山本」の名が「竹取物語」以前にあったことを示す資料)
  2.竹取翁の名前・・・「さぬき」ではなく「さかき」と読んだ点について
  3.京田辺と竹の関係からみる「竹取物語」の由来
  4.「かぐや姫は実在の人物だった」根拠について


『竹取物語』発祥の地は "京田辺その3 『竹取物語』かぐや姫サミット(その2)
 「かぐや姫の里」ビデオ動画講座


発行者:京田辺市郷土史会 文化部会かぐや姫の里を考える会
   発行責任者:理事 小泉芳孝(日本民俗学・郷土史研究家) kyoto japan
   「竹取物語研究」竹取の翁・かぐや姫 から発信しています
■新聞・テレビ・雑誌などの取材やお問い合わせは、このメールへお送り下さい。

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