世界遺産 稲作民俗の源流 

 ネパールのカトマンズ  NEPAL KATHMANDU
                      
 ネパールは、地理的に平坦な亜熱帯地帯で、中部丘陵地帯と雪に覆われたヒマラヤが有名です。
首都カトマンドゥは、日本と良く似た気候です。
ネパールの国土は、標高5000mを越えるチベット高原と、標高150mのインドの平地にある。
斜面の北部分には、ヒマラヤ山脈が突き出てている。ネパール国内の海抜は8848mから60m
までと高低差が大きい。
ゆえにネパールの気候は高山の気候から亜熱帯気候まで、変化に富んでいる。
面積 は14.7万kmで 約80%が山岳丘陵地帯にある。
ネパールは、ヒンドゥー教を国教としている、世界で唯一の国です。

                 
更新:2010年10月28日       

ネパール最古の仏教寺院 「スワヤンプナート」

ハヌマン・ドガ(旧王宮)内の
タルバール広場にある
シヴァ神の化身「カーラ・バイラブ」

ネパールの宗教は、90%がヒンドゥー教です。他は、仏教・5%、イスラム教・3%、
ジャイナ教、キリスト教、その他が計2%だそうです。しかしジャイナ教の教会はない?ようです。
北の山岳地帯はチベット仏教の影響が強く、南の地域はインドに接していてヒンドゥー教の影響が大きい。
カトマンドゥ市内では、ヒンドゥーと仏教が渾然一体となり切り離しがたい様相を見せている。
ネパールに宗教間の緊張が無いのは、佛教寺院でもヒンズー教と良く似たお参りをしているからだろうか?

ダクシンカリ 
カトマンズか約1時間の山の中腹にあるダクシンカリの寺院は、獰猛な女神を祭られている。この女神は信ずるものに
力を授けるといわれ、また生け贄を好むといわれている。願いごとが叶えられた人達は、感謝のためここの寺院に
お参りして鶏や山羊を生け贄にする。ヒンズー教徒にとっては重要な寺院の一つとされている。
私が訪れた時は、休日である土曜日でありネパール各地からたくさんの巡礼者が来て大変な賑わいを見せていた。
寺院に繋がる行列は、500メートルにもなっていた。

ヒンドゥー教の生贄が行われているところ「ダクシンカリ」

   ネパール最大のリンガ

ボダナートは、入り口を入ると目の前に大きなストゥーパーが建っている。27m世界最大のラマ教寺院の仏塔である。
饅頭型のコンクリートの上、東西南北それぞれに世界を見下ろす仏陀の目が描かれた四角垂があり、その上に三角錐と
法輪が付けられている。そして周囲にはタルチョと呼ばれる沢山の旗が何重にも張られている。日本の子葉学校の運動会
みたいです。
日本の五重塔と同じ意味を持つ、ストゥーパーは地、水、火、風、空の五大元素を表現しています。
周りのタルチョは、黄(地)、緑(水)、赤(火)、白(風)、青(空)の5色が描かれていてストゥーパーと同じ意味を持ちます。

 ここはネパール人だけでなく遠くチベットからも日々とがやってきて
仏塔の周囲にはめ込まれているマニ車
(経文を書いた円錐の鉄車)を右手で回しながら、右回りに歩いていました。また階段の下では五体倒地して祈っている
人もいた。

ネパル最大の仏塔が建つ、チベット仏教の巡礼地

バクタプルは、歴代王たちが住んでいたところでダルバール広場には「55窓の宮殿」がある。
広場へ通じる門はブパティンドラ・マッラ王によって建てられた。
大きな鐘、ゴールデン・ゲート、五重塔があるニャタポラ寺院、バイラブ寺院、木彫と金属彫刻の
美術館のある広場などがある。

バクタプルのニャタポラ寺院(五重の塔)

ネパールは亜熱帯モンスーン気候で、雨期(6〜9月頃)と、乾期(10〜5月頃)にわかれている。
日本のような四季は、3〜5月、6〜8月、9〜11月、12〜2月。

   カトマンズ港外の棚田
晴れた時には、後方にヒマラヤが望めます。

   カトマンズ近郊の小麦畑

  カトマンズ市内の佛教寺院
朝の6時半に門が開き、夜の9時半頃まで開いていてお参りする
人達がひっきりなしに訪れ、その信仰深さに驚かされる。

  上記佛教寺院 本尊の観音像
朝と夕方には、出勤や買い物帰りの佛教徒が沢山立ち寄り次々にお参りしていました。
ここの僧侶は日本語が出来るので気軽に写真を取らせて頂きました。
 信者は、蝋燭を灯し熱心に願い事をしたあと右周りに本堂を一周して境内の仏陀像に
お参りしていました。
日本のような拝観料はなく、灯明の蝋燭代のみである。
時々本堂の中に入って熱心に拝む信者には、本尊の横にいる僧侶が本尊の前で燭台を
持って円を描きお祈りしたあと、本堂を一周して念仏を唱え続けていました。

     カトマンズの仏陀像
カトマンズの仏陀像は、ガンダーラ仏の彫りの深い像でなく、
日本の仏像と良く似たふっくらとした顔をしています。

カトマンズの一角で夜になると民族音楽を演奏する市民
「MAITORI PARIWAR」 MAITRIPATH KWABAHAL,KTM
場所は、タメル地区の「味のシルクロード」から南へ下がり一筋目を
東へ50メートル程入った所の路地の一角で、毎晩9時頃まで演奏
されています。
私は、ネパールの民族音楽に酔いしれたので、手前の箱にチップを
入れて帰りました。

       観光地の入場券
 最近値上げされたようでガイドブックの約4倍になっていました。

ダルバール広場の旧王宮の中にある「パタン博物館」は、900点にものぼるブロンズ像と宗教的な品々が展示されている。
古いものは11世紀にまでさかのぼることができ、そのいくつかはマッラ王朝以前のリッチャヴィ(Lichhavi)王朝時代のもの
であるといわれている。像のほとんどが釈迦、ビシュヌ、ロケシュワル、デヴィなど仏教とヒンズー教に関する物が多くが展示
されている。

 カトマンズの博物館は、何故か休館している所が多くここの「パタン博物館」は、 一見の価値がありました。
仏陀像やヒンズー教の各種のリンガ、それにタンカや 美術品などネパールの財宝がびっしり詰まっています。

ネパールのタメル地区(ホテル・レストラン街)にある「味のシルクロード店」
   ここはバックパッカー御用達の日本人家庭料理店です。
   味噌汁・豆腐など絶品! 旅行者の書き込みノートやメッセージボードがあり、
   色々な情報が得られます。 ちなみに私も少し書き込みました。

私がカトマンズでお世話になったツアーの御主人
 PEACE’N’WILD TREK & EXPEDITION(P)LTD
  keshavgurung@hotmail.com 日本語のローマ字でOK!
  tel:977-1-263988 fax: 977-1-258178  日本語OK!
 乗用車と日本語ガイド付で1日50ドル(8時〜17時)おすすめです!
 1日100ドルというツアー(ボッタクリ!)もあるので注意して下さいね。
 上記の「味のシルクロード」の1階にあります。
 トレッキングガイドもしておられます。


ネパールのリンク集
ネパールの元ボランティア教師  http://www.page.sannet.ne.jp/t-hata/roki/himalchu.html

ネパール観光案内http://www4.dewa.or.jp/NEPAL/manual/31.htm

シャプラニール=市民による海外協力の会http://www.shaplaneer.org/


日本にいるネパール人から頂いた最新情報です。  2001.6.7
 23:07
今日はカトマンジュの全部店とか開いています。昨日までは閉まっていた。
ネパールの王様と家族みんなが殺されました。それが誰がしたかまだ不思議なんです。
あることによるとそれが今の王様が自分が王様になるためにしたらしい。
あることによると、それが今の政府とインドのつながりだと今日の新聞にのっていた。
そいうことを新聞にかいた記者と新聞社のオ−ナが警察に捕まれました。
王様を殺した人をまだ探しているけどそれが解決出来るかどうか。

現地の情勢に詳しく、現在日本にいる友人からメールを頂きました。  2001.6.7 01:12
 もうご存知かと思いますが、謀殺説が日本の新聞にも取り上げられるようにな
りましたね。公式発表など大半のネパール人は信じていません。王室のメンバー
についてのネパール人の持つ「常識」と、今回の不自然な出来事を照らし合わせ
ると、当然謀殺説が浮かび上がってくるからです。もちろん証拠があるわけでは
ないので、「事件の真相解明」を求めるしかありませんが。
 (この他にも詳細な情報を頂きましたが、未確認情報の内容なので
 今はホームページでの公表をさしひかえます。)

ディペンドラ国王の死去事件、クーデターか?  2001.6.6 (友人のメールから)
 ネパールで大変な事件が起きました。ディペンドラ国王の死去にたいして私はクーデターが
発生したのではないかと考えています。
 それは、天孫降臨の聖地で国王の別荘でもある「ゴルカ王宮」のある、ゴルカにいった時、そこの
有力者、市長?にあたる人が昨年何故かなくなったため、市内にあるメインストリートのところに設置
されていた像に白い布が掛けられていた。ゴルカは、ゴルカ兵で有名な所でここには今も兵隊が
いるのを始め、ヒマルチュリーやマナスル連山の展望も良く大パノラマであるだけに、国王専用の
ヘリコプター基地も設置されています。
 あと一つは、深夜に長距離バス(ネパールは列車がない)に乗っていて郊外の田園地帯の
ピラトナガルヘ行く途中の町に入った時、深夜の0時近いにもかかわらず突然松明を灯した大勢の
デモ隊が道路いっぱいになって車も動けなくなったことがありました。現地の人は大変珍しいのか
全員窓から首を出して覗いていましたが、私は背を低くしてちじまって外から見えないようにして
いました。後で何のデモなのか聞くと「反政府デモ」と、話してくれました。
 以上のことを最近体験しましたので、クーデターかなと思った次第です。


 畠 博之 さんからメールを頂きました。

Re: ネパール教えて  2001年3月12日 22:54

小泉さんへ  本の出版、おめでとうございます。 
> ネパールは、陸稲ですか? 赤米黒米がありますか?   
 灌漑設備のあるところでは、水稲です。灌漑設備といっても、日本のようにコ
ンクリートで固められた水路ではなく、ちょっと掘り下げただけの溝があちこち
にあります。乾季のこの時期では見落としてしまうようなものですが、雨季には
あちこちで水流が見られます。カトマンズ盆地では、ほとんどが水稲だと思いま
す。カトマンズは他に低地のタライ平原の水稲を消費していますので、普段食べ
るお米はほとんどが水稲だと思います。
 私のいたゴルカの山間部では、水利の悪い所では陸稲が栽培されていました。
ネパール人にとっても陸稲はおいしくないようで、お金のある人は水稲を買って
でも食べていました。お金のない人は、お米にとうもろこしを混ぜたり、稗を食
べたりしています。

 赤米かどうか知りませんが、色のついたお米を食べたこともあります。やはり
ネパール人も白がいいようで、ゴルカ郡でも、銘柄米が栽培されるようになりま
した。もっと山間部に行けば、地方米を栽培している所があると思いますが。な
お政府系の農業開発センターではいろいろなお米の標本を置いています。
 
 たぶんゴダワリの植物園にもいろいろな標本があったと思います(10年程前
に行ったきりで不確かですが)。そうでなくても盆地にはたくさんの農業開発セ
ンター(Agriculture Development Center)がありますので、タクシーの運転手に
頼んでみてはいかがですか?

> あとは、生贄の儀式や、日本の仏教とどのように異なっているのか?
> 日本の神道のような精霊信仰が存在するのか大変興味があります。   

 いろいろお寺を回ることでしょうし、解説書もたくさんありますから、私の下
手な説明はない方がいいでしょう。ただ3月16日〜20日には大きなお祭りが
ないのが残念です。24日は「馬祭り」ですが。ではまた。カトマンズでお会いしましょう。
********************畠 博之  *****************

海外旅行情報
 最近はビザの状況が刻々と変わり、 中国のビザなしの次は、ネパールが!
 短期間の滞在はビザが無料 ネパールのビザ規則が2003年9月1日申請分より変更。
観光の場合のみ、3日4日以内の滞在は査証料金が無料。
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http://www.saiyu.co.jp/desk/osa/indiatg.htm


カトマンズ KATHMANDU

1979年、ユネスコの世界文化遺産に指定された古都。
太古の昔、カトマンズ盆地は湖であったといわれています。最近の調査により、実際にカトマンズ盆地は湖であったこと、そしてその湖の南側で地震が起こり、湖の水が排水されて今のカトマンズ盆地となったことが明らかになりました。神話によると、文殊菩薩がカトマンズ湖の周りの山を剣で切 り開いたといわれています。もともと湖であった土地は肥沃です。山間の土地でありながら緑豊かなので、人々はその恩恵にあずかっています。昔からカトマンズ盆地は交易と文化の要塞としての機能を果たしてきました。
都市文明を担ったネワール族の伝統的居住地であるカトマンズ盆地は今でも世界的に貴重な歴史ある町々を誇っています。
また、カトマンズ盆地は標高が平均して約1300mという高さにありながら、緯度は日本なら沖縄とほとんど同じところにあるため、年中温暖な気候に恵まれています。ネパール最大の盆地で、カトマンズ、パタン、バクタプルの3郡で成り立っています。 

人口の約7%が暮らすネパールの首都で、別名を「カンティプール」(栄光の都)と言います。1990年の民主化を機に急速に成長を遂げています。首都にしては小さな印象を受けますがここはネパール随一の大都会です。レンガ造りの町並みは中世の世界に迷い込んだような印象を受けます。町のいたるところに小さな寺院があり、宗教都市としての趣もたっぷりです。
日本人にとってはなぜか懐かしくてたまらない気持ちにさせられる町です。かつてこのカトマンズこそが「ネパール」と呼ばれていました。今でも農村部の人たちは「カトマンズへ行く」ことを「ネパールへ行く」と言います。カトマンズを見ずしてネパールを見ず、必ず一度は足をとめてゆっくり滞在したいものです。

■ダルバール広場 Durbar Square

「ダルバール」とは「宮廷」という意味です。その名のとおり、マッラ王朝時代にはカトマンズ王国の中心部でした。王たちが美しさを競い合って建てた広場なので、その建物の装飾の美しさには目を見張るものがあります。広場に立ち並ぶ20数棟にも及ぶ寺院にはいろいろな時代のものが混在しています。このように古くから王族の由緒正しい場所であるダルバール広場では、今でも王族の戴冠式や即位式が行われます。この広場には生き神の住むクマリの館を始めとする見どころが多くあります。また、周囲にはハヌマン・ドカと呼ばれる旧王宮もあり、いつも観光客で賑わっています。広場の近くには庶民のバザールもあります。


■シヴァ寺院
1690年にマッラ王朝時代にバクタプルの皇太后によって建てられた寺院です。この寺院にもヒンドゥー教と仏教の融合が見られます。建物の前にあるシカラ(白い塔)はシヴァ信仰を表すものですが、屋根の装飾は仏教に見られるものです。ダルバール広場の中で一番高い建物がこの寺院です。

■シヴァ・パールバティ寺院
18世紀にゴルカ王朝のバハドゥール王によって建てられたもので、2階の窓からシヴァ(破壊の神)とパールバティ(その奥さん)の彩色された木彫りが町を見下ろしています。寺院の入り口には寺を守る白いライオンの像があります。


■クマリの館
1757年にカトマンズ最後のマッラ王朝の王、ジャイ・プラカース・マッラによって建てられた、生き神と信じられているクマリが住んでいる館です。2頭のライオン像がその入り口を守っています。クマリはタレジュー神(ドゥルガ)の化身であると信じられており、ネワール・サキャ族の由緒正しい家の出身の、少女の中から選ばれます。他の地域にもクマリは何人かいますが、このカトマンズのクマリが最も重要なクマリであるとされます。団体で訪れ、いくらかお布施をするとクマリは顔を見せてくれますが写真を撮ることはできません。年に一度、国王もクマリに会いに来て、祝福のティカ(おでこに赤いしるしをつけてもらうこと)を受けます。年に一度のインドラジャトラの祭りでのクマリの山車巡行は必見です。


■ハヌマン・ドカ(旧王宮)
「ハヌマン」とはヒンドゥー教の猿の神様で、「ドカ」とは門のことで、ハヌマン像のある門がもともと「ハヌマン・ドカ」と呼ばれていましたが、今では旧王宮もその付近もすべてハヌマン・ドカと呼ばれています。旧王宮は17世紀に造られたもので、ネワール建築の集大成とも言えるすばらしい装飾を目にすることが出来ます。今、王族はここには住んでいませんが、現在でも外国の要人が訪れたときには、行事のために使われています。ハヌマン像は1672年にマッラ王朝の王、プラタップ・マッラによって作られました。像の横にある金のドアが旧王宮の正門にあたり、2頭のライオン像がその入り口を守っています。

■パンチャ・ムキ・ハヌマン寺院
円形の五重の屋根を持つ、ネパールでも2例しかない建築様式の寺院です。(もう一例はパシュパティナート)この寺院の中にはヒンドゥー僧しか入れません。中には5つの顔をもつハヌマーンの像があります。

■ジャガンナート寺院
この広場で一番古い建物で、マヘンドラ・マッラ王朝期の1563年に建立されました。天蓋を支える柱の色鮮やかで官能的な彫刻がとても美しいです。

■タレジュー・ベル
シヴァ・パールバティ寺院の近くにある大きな釣鐘で、大変見ごたえがあります。この大釣鐘は1797年にラナ・バハドゥール王により作られたもので、この鐘の音は悪霊をとりはらうといわれています。タレジュー寺院でセレモニーなどがあるときに鳴らします。

■タレジュー寺院
1549年、マッラ王朝のマヘンドラ王によって建立された3階建ての寺院です。この寺院の建築方式は典型的なネワール様式で建てられています。クマリがその化身であると信じられているタレジュー女神(ドゥルガ)のための寺院です。この寺院の中には年に一度ダサインの時にだけヒンドゥー教徒に開放されます。本尊であるタレジュー女神の像のある部屋には王族しか入ることが出来ません。今の建物は16世紀の半ばに修復されたものです


■カーラ・バイラブ
カトマンズにある石像の中では最も大きいものの一つで、シヴァの化身であるカーラ・バイラブの像です。シヴァの破壊神としての化身で、目を見開き、首に頭蓋骨のネックレスを巻き、人間の皮を羽織って、人々を恐れさせる外見をしています。カーラ・バイラブの前でうそをつくと即座に死んでしまうと信じられており、17〜18世紀には、政府はこの像の前に犯罪の容疑者を連れてきてその罪を白状させていたといいます。


■カスタマンダプ寺院
またの名を「マル・セッタル」といいます。この寺院もネパール最古の建築物であると考えられています。「カスタマンダプ」とは「木でつくった」という意味で、一本の木から掘り出した寺院であるといわれています。また、この寺院の名前を取って、カトマンズという都市名がついています。

■アショク・ビナヤク
別名「カトマンズ・ガネーシュ」といわれる寺院です。この寺院は、ほかの寺院に見られるような屋根の上の飾りを持たないことが特徴です。ネワール族はこの寺院を「マヌ・ガネーシュ」と呼びますが、「マヌ」とは「何もない」、とか「ない」等を意味する言葉でこの寺院が尖塔を持たないことをあらわしているといわれています。ガネーシュとはヒンドゥー教の象頭人身の神のことで、成功や富をもたらす神としてとても人気があります。一週間のうち、火曜日はガネーシュの日とされているため、この寺院は火曜には大変混みあいます。王室にとっても大切な寺院で、王室の儀式もここで行われることもあります。門の横には真鍮の旗とライオンが立っています。金色の屋根の部分は1874年に作られたことが分かっていますが、この寺院自体の建立時期ははっきり分かっていません。

※他にはトリブヴァン王にまつわるものを展示したトリブヴァン博物館や、マヘンドラ王にまつわるものを展示したマヘンドラ博物館、ナラヤン寺院、クリシュナ寺院などがあります。

スワヤンブナート Swayambhunath

町から2kmほど離れたところで町を見下ろすように建っているのがスワヤンブナートです。カトマンズがまだ湖であった時代に、この地にやってきた文殊菩薩が湖を切り開き、カトマンズを盆地に変え、大日如来を讃えて、スワヤンブナートを建てたという伝説を持っています。約2,000年の歴史を誇るこの仏塔は、ネパールで最も古い寺院で、世界で最も壮麗な仏塔の一つとされています。仏塔にたどり着くには385段の階段を露店や物乞い、獅子やガルーダの石造をその参道に見ながら進んでいきます。仏塔の高さは15m、四方に全てを見通すというブッダの眼が描かれています。境内で見られる建物は多様です。子供を護る神様を祀るハリティ寺院やチベット仏教のカルマ・カギュー派の僧院、インドのシカラ様式の仏塔・・・と宗教の混在するネパールならではの寺院と言えます。盆地の底部からの高さが77mもあるので、ここからの眺めはすばらしいものです。13世紀までにはカトマンズ盆地で最も重要な仏教聖地となり、15世紀にはイスラム教徒により破壊されたが再建され、20世紀の後半には中国から来たチベット人たちが周辺に住みつくようになりました。また、この寺院は別名「モンキー・テンプル」とも言われ、猿の姿をいたる所で見かけます。食べ物の入ったビニール袋などを持っていると猿に取られてしまうこともあるので気をつけましょう。

パシュパティナート Pashupatinath


カトマンズから東に5kmのところ、ガンジス川の支流であるバグマティ川の川岸にある、ネパール最大のシヴァ寺院です。インドのヒンドゥー教徒にとっても重要な寺院で、インド亜大陸にある四大シヴァ寺院の一つでもあります。シヴァラートリー(シヴァ神の誕生日)の日にはインド・ネパール中の巡礼者がこの寺院に詰め掛けます。破壊神であるシヴァは様々な化身を持ちますが、「パシュパティ」もその化身の一つです。 この場所には879年からシヴァ寺院があったことがわかっていますが、現存の寺院は1697年にマッラ王朝のブパティンドラ王によって建てられたものです。しかし、キラテシュワール寺院にある最古のシヴァ・リンガから推測するに、紀元前3世紀には最初の寺院が建てられたのではないかといわれています。パシュパティナート寺院は23.6mの高さをもち、寺院の四面には金色の扉が付いており、扉の両側にはヒンドゥーの神々の像があります。
女性の力をあらわすグヘスワティ寺院は1653年に修復されたもので、父親のために火の中に飛び込んだと言う神話を持つ、シヴァ神の一人目の奥さんのサティデヴィ(カーリー)のための寺院です。この寺院にはヒンドゥー教徒以外は入ることはできません。
ラジュラジェシュワリ寺院は1407年に建てられたものですが、こちらもヒンドゥー教徒以外は中に入ることが出来ません。他にもゴラクナート寺院、ヴィシュワループ寺院などの寺院があります。橋の近くにはアルエ・ガートという火葬場があります。ヒンドゥー教徒はここで火葬されるのですが、一番川の上流にある火葬場は王族のものなので庶民は使うことはできません。また、火葬場は写真を撮ることは厳禁ですので気をつけてください。中に入ることは出来ませんが、バグマティ川の対岸から寺院の様子が良く見えます。ここにも猿が多くいるので、食べ物を入れたビニール袋を持ち歩いたり、物を食べたりすると危険なのでやめましょう。シヴァラートリー以外の祝日では、エカダシ、サンクランティ、ティージ、プルニマ(満月の日)などに多くの人が参拝します。


ボダナート Boudhanath

カトマンズの町から東へ約7kmの所にある、南アジア一大きな仏塔を持つ寺院で、高さは36mあります。何世紀にも渡って、チベットとの交易のルート上にあったので、チベット商人はここで休み、ここまでの無事を感謝し、また帰路の安全を願ってここで参拝してきました。1950年代より、中国から亡命してきたチベット人の多くがこのボダナートの周りに住むようになり、数々の僧院を作り、ここを「リトル・チベット」にしました。この「リトル・チベット」であるボダナートは、今でもネパールでチベット人の生活を見るのには最適な場所です。チベット人がマニ・コル(マニ車)を回しながら歩く姿やチベット僧が参拝する姿を毎日目にすることができます。熱心な信者の中には五体投地で参拝する人もいます。

一般的にボダナートが建立されたのは5世紀といわれていますが、確証に欠けるため実際の建立年代は不明です。仏塔は真上からみるとそれ自体がマンダラになっています。四層の台座は地、半球体のドームは水、目が描かれた部分と13層の尖塔は火、頂上の円形の傘は風、先端の尖塔は空、というチベット仏教における宇宙を構成する5大エネルギーを象徴しています。ドームの下にある108のくぼみには、ひとつひとつに仏像が彫られています。
ボダナートの周りにはチベット人やタマン族の経営する商店がたくさんあり、マニ車やチベット・アクセサリー、ククリ、手織りのカーペットなど色々なものが売られています。

アサン広場とインドラチョーク Asan Chowk and Indra Chowk
マチェンドラナート寺院の近くにある旧市街の中心地です。スパイスや野菜を売る人、牛、人、リキシャ・・と非常に賑やかな庶民の広場です。広場の端のほうにあるアンナプルナ寺院からは道行く人が鳴らす鐘の音がいつも聞こえます。市場は朝5時頃から8時頃まで立ちます。インドラチョークは中世の街並みをそのまま残す通りで、日用品やサリー、毛織物などの店が軒を連ねています。上を見上げると建物の窓の装飾がとても美しいことに気が付きます。マチェンドラナート寺院、ガネシュ寺院、アカシュ・バイラブ寺院、シヴァ寺院もここにあり、カトマンズの旧市街の雰囲気を味わうなら一度は訪れたいところです。


国立博物館 National Museum

1928年に設立された国立博物館です。地元の人たちに人気のある博物館で、古代のものをはじめ、近代王朝の遺品や武器の展示もあり、イギリス植民地時代のインドと戦ったときにどんな戦争であったかがよく分かります。その他文化や歴史の文物が収蔵されています。その他にも面白いものは、コインのコレクションがあります。紀元前からの各王朝で使われたコインが並んでいます。スワヤンブナートへ行く道の途中にあるので、立ち寄ってみると良いでしょう。


カトマンズ周辺
AROUND KATHMANDU
>>>カトマンズ周辺のみどころをご案内
■ナガルコット Nagarkot
ナガルコットはカトマンズの約32km北東に位置しており、2,175mの高さにあります。周りはヒマラヤの山々に囲まれており、朝日を見るのには最高のロケーションです。宿泊施設も数多くあり、歩かずに行くことが出来るため、非常に人気があります。ここからは特にジュガール、ロールワリン、クーンブ山群の展望が広がります。

◆オプショナルツアー
【サンライズツアー ナガルコットの丘/ナガルコット1泊2日】


キルティプル Kirtipur

「キルティプル」とは「栄誉の町」という意味です。キルティプルはパタンが栄えた12世紀に建設され、その後はカトマンズやパタンに対抗する勢力を持った都市にまで発展しました。1768年に現王朝であるシャハ王朝の祖によって陥落されるまで栄え続けました。現在では、丘の上に立つひっそりとした町ですが、過去の繁栄を偲ばせる美しいネワール建築の数々は必見です。日干しレンガの建物に囲まれた静かな古都の街並みを、ゆっくりと時間をかけて散策したいものです。この町からの眺めはすばらしく、眼下にはカトマンズの市街地が、遠くにはヒマラヤの山々を見ることが出来ます。
この町での見どころは旧王宮、ストゥーパ、ウマ・マヘシュワール寺院、バグ・バイラブ寺院です。どれも高台にありますので、見晴らしも楽しむことができるでしょう。


ダクシンカリ Dakshinkali

カトマンズの南約18kmのところにあるカーリー女神を祀る寺院です。ヒンドゥー教徒以外は中に入ることは出来ませんが、外からその様子を見ることが出来ます。カーリーはシヴァの妻で、血を好む暗黒の女神であるといわれているので、毎週火曜日と土曜日に巡礼者が各地より生贄のヤギや鶏を捧げにやってきます。


ゴダヴァリ Godavari

ゴダヴァリはカトマンズの南東約15kmのところにあるのどかな村です。カトマンズ盆地では一番高いプルチョウキ山のふもとにあります。ここにある植物園は72ヘクタールの広さを持ち、500種以上の植物を栽培しています。植物が多いため蝶もたくさん集まり、春や秋の花がいっせいに咲く時期には多くのピクニック客で賑わいます。植物園から200mほど離れたところには「ゴダヴァリ・クンダ」と呼ばれる聖なる泉があります。山から流れてきた水はいつでも冷たく、非常に透明度が高いです。多くの巡礼者がここを訪れ、この水を飲んだり、浴びたりします。

ティミ Thimi

ティミはカトマンズから約10km、バクタプルから約3kmのところに位置します。ここも古い歴史をもつネワール族の町ですが、この町で見つかった碑文から、パタンやバクタプルが栄えたマッラ朝よりもっと前の時代からあったことが分かっています。ティミはカトマンズ盆地の真ん中に位置するため、別名「マディヤプル」(真ん中の町)とも呼ばれます。ティミは伝統的工芸と豊かな文化で有名な町で、特にこの地で作られる彫刻品、人形、お面、手織り布などが有名です。バハカバザールではこれらの工芸品を作る過程を見ることが出来るでしょう。また、この町は祭りを盛大に行うことでも良く知られており、特にネパール新年のビスケットジャトラが有名です。


チャングナラヤン Changu Narayan

カトマンズの町から約20kmのところにあるヒンドゥー教の寺院です。カトマンズ盆地で最も古く、リッチャヴィ期の323年に建立されたと言われていますが、現在の建物は1702年に再建されたものです。ネパールの寺院の中でもすばらしい建築技術が伺えるもので、寺院に彫り込まれたネワール彫刻のすばらしさには息をのみます。この寺院の本尊はヴィシュヌ神の化身ナラヤン神です。寺院の前にはマッラ王朝時代に造られたブパティンドラ王とその王妃の像があります。この寺院は標高 1,541mに位置しているため、とても見晴らしが良く、カトマンズやパタンの町並みを見渡すことが出来ます。


サンクー Sankhu

カトマンズから約20kmのところにあるネワール族の村です。サンクーは、7世紀〜19世紀の間チベットのラサへ向かう商人たちの最後の宿場町として栄えました。木やレンガで造られた町並みのいたるところで、精巧なネワール彫刻を目にすることが出来ます。村から2kmほどの、30分ほど階段を登ったところにヴァジラ・ヨギニ寺院があります。ヴァジラ・ヨギニとはチベット仏教における女神で、伝説によると、文殊菩薩がカトマンズ盆地を出現させたよりも早くにヴァジラ・ヨギニはこの地に住んでいたと言われています。この寺院は仏教寺院ですが、ヒンドゥー教徒の巡礼者も集めています。
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ブダニルカンタ Budhanilkantha

カトマンズから約10km、盆地の北端のシヴァプリ丘のふもとにある村で、ここにあるブダニルカンタ寺が非常に有名です。ヒンドゥー教のヴィシュヌ神を祀る寺で、池の中にヴィシュヌ神が蛇の上で横たわる5mの像があります。この像はカトマンズ盆地では採れない黒石で出来ており、7〜8世紀のものであるといわれています。その昔、このあたりで農作業をしていた夫婦が掘り出したといわれています。ブダニルカンタ寺のこの像に良く似た像が、バラジュー庭園とカトマンズのハヌマン・ドカにあります。ヴィシュヌ神の化身とされるネパールの王は代々この地を訪れることは死を意味するとして、その代わりにこの2つの場所に像を作ったといわれています。朝にこの寺院を訪れるとプジャ(礼拝)をしているところが見られます。


カカニ Kakani

カトマンズから北西約30km、標高約2,073mのところにあります。ナガルコットとともに夕日を見るのに最高の場所といえるでしょう。ここからは特にランタン、ガネーシュ、マナスル、アンナプルナ山群の展望がよく、間近に見ることができます。


バナウティ Panauti

バネパの南6kmのところにある、ネワール族の村です。かつてパナウティはチベット交易の中継地点として栄えていました。ここにはすばらしいネワール彫刻を持つ寺院が2つあります。14世紀に建立されたインドレシュワル・マハーデーヴ寺院と17世紀に再建されたブラフマヤニ寺院です。寺院の内部にはヒンドゥー教徒しか入ることができません。このほかにも、数々のネワール建築があります。


パタン PATAN

パタンはカトマンズの南、バグマティ川を越えたところにある小さな町で、ネワール文化の華開いたマッラ王国が栄えた時代には首都だったところです。カトマンズ盆地では一番古い町で、299年にアショーカ王によってつくられたといわれています。別名を「ラリトプル」(美の都)といい、その名の通り大変美しい、趣深い町です。町の住民は彫刻・工芸・絵画などの芸術に長けたネワール族が8割を占め、いたるところで工房や絵描きを見かけます。数々の寺院の装飾にも息を呑みますが、街の中の何気ない家や祠にも繊細なネワール彫刻を見ることができます。長い仏教の歴史を持ち、町の四方には紀元前3世紀にアショーカ王が建てたと言われるストゥーパが残っています(この4つのストゥーパの中心に旧王宮とダルバール広場が作られています)。今でも住民の6割以上が仏教徒です。天気がよければ空を見上げると遠くにランタンの山々が見えます。

■ダルバール広場 Durbar Square
旧王宮前にある広場で、旧王宮・寺院を中心にすばらしいネワール建築の数々を見ることができます。建物の多くは17〜18世紀のネワール美術の華開いたマッラ朝のものです。
周囲の寺々が石畳の路をはさんで、ほとんど軒を接するほどびっしりと建てられているのが目を引きます。


■旧王宮
マッラ朝の歴代の王が住んだ王宮です。パタンの王宮は、チョーク(中庭を囲む建物)で成り立っています。王が即位する度に増築されて、一番多い時には12のチョークがありましたが、現在残っているのはこのうち3つです。この王宮には謁見の間、会議室、客間、居室、浴室、台所、寺院、中庭などがありますが、これらは14世紀ごろから300年に渡って造られた物です。その後、戦争や地震などにより何度も崩れたため、その度に再建して今に至っています。

マニ・ケシャブ・ナラヤンチョーク(パタン博物館)
王宮の中では一番新しいもので、1734年に完成しました。かつて王が舞踏や音楽を楽しむ場所であったといわれています。それぞれの寺院入り口には門がありますが、ここの門は金色の装飾を持つので「スン・ドカ」(黄金の門)と呼ばれています。この上にある金の窓から王は、広場に集まった民衆に姿を見せていたそうです。1997年に改装され、現在はパタン博物館になっています。展示品の多くは、ヒンドゥー教の神像と仏教の仏像などですが、演出もすばらしく見ごたえのある博物館です。

ムル・チョーク
3つのうちで一番古く大きいもので、現在の建物は1666年にシュリ・ニワス・マッラ王によって建立されたもので、王の執務室であり、最も重要な場所であったと言われています。かつては王位の継承などに使われていました。建物の柱にはヒンドゥー教の神々が描かれています。このそばにはタレジュー寺院とデグタレ寺院があります。このタレジュー寺院はダサインの際には水牛やヤギなどが生贄として捧げられます。デグタレ寺院はダルバール広場の中でも最も目を引く寺院です。何度も火災や地震により崩壊し、再建されています。7階建てに見えますが実際は5階建て、という面白い構造を持っています。ほかにこのそばには、ガンジス川の女神とジャムナ川の女神の像もあります。

スンダリ・チョーク
17世紀に建造されたとされている王の住居です。門の前にはハヌマーン(猿の神様)、ガネーシュ、ヴィシュヌの化身であるナルシンガ(ライオン)の像があります。中庭の中央には王の沐浴場があります。この沐浴場は1960年に修復されたものです。浴槽の内側には繊細な彫刻が施されており、噴水の噴出口にはヴィシュヌ神とラクシュミ神が乗り物であるガルーダにのっている石像があります。浴槽の上にはクリシュナ寺院のミニチュアが置かれています。また、中庭の中央にある石の台座は、王が修行のためにその上で雨の日も風の日もその上に寝続けたと言われています。「スンダリ」とは「美しい」という意味ですが、その名のとおり大変美しい中庭です。


■クリシュナ寺院
17世紀のシディナラシン王の時代に建てられたと言われるこの寺院には、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神の化身であるクリシュナが祀られています。クリシュナとは、マハーバーラタ戦争の際に正義のために戦ったとして、ヒンドゥー教徒に広く人気のある神様です。この寺院は、ネパールでは珍しい石造りで、他の追随を許さぬ石造建築の傑作であるといわれています。寺院の前には、ヴィシュヌ神の乗り物であるガルーダの像があり、壁と2階には「マハーバーラタ」の物語が、3階には、「ラーマーヤナ」の物語が刻まれています。ネパールを代表するシカラ建築の建物で、21の祠を持っており、ブッダも祀られています。ヒンドゥー教徒にとっては非常に重要な寺院で、クリシュナの誕生日にはインドからも多くの巡礼者が訪れ、寺院が人々に埋め尽くされます。

ゴールデン・テンプル Golden Temple

12世紀にバスカル・バルマ王によって建てられたとされています。今のネパールのパゴダ様式の建物は19世紀に造られたものです。貿易に成功したパタンの商人によって建てられたといわれています。正式名はヒラニャ・ヴァナル・マハヴィハール寺院といいますが、一般的にはゴールデン・テンプルと呼ばれています。その名の通り、本堂は金箔で覆われ、仏像も金色に輝いています。この寺院は、ネワール族の僧院で、マンダラや仏像、経典などが収められています。また、入り口の門の天井には精巧な石のマンダラが描かれています。チベット仏教徒にとっても大切な寺院で、一日に何度も参拝する人たちもいます。

クンベシュワール寺院 Kumbeshwar Temple  

この寺院周辺はパタン発祥の地とも言われており、パタンでも最も古い地区と言われています。パタンに現存する寺院の中では最も古いものです。1932年にマッラ朝のジャヤシッディ王によって建てられたパゴダ様式のシヴァ寺院です。建てられた当初は2層の屋根でしたが、17世紀に増築され現在のような5重の塔になりました。寺院の正面にはシヴァの乗り物である聖牛の像があります。
境内の入り口には聖なる湖ゴサインクンドから流れてきたといわれる二つの水場があります。この水で身を清めると、ゴサインクンドへ巡礼したのと同じご利益があるといわれています。境内にはこのほか、ガネーシャの像などがあります。夏のジャナイ・プルニマの祭りの際にはここで儀式が行われます。

マチェンドラナート寺院 Machhendranath Temple

1408年に建立されたとされていますが、現在のパゴダ様式の建物は1673年に再建されたものです。マチェンドラナートとはシヴァの化身で雨と豊穣の神のことで、カトマンズにあるセト(白)・マチェンドラナート寺院のマチェンドラナートは顔を白く塗られているのに対し、こちらの本尊は顔の赤いラト(赤)・マチェンドラナートです。シヴァの化身であるマチェンドラナートは仏教徒にとっては観自在菩薩であるため双方の信者を集めています。屋根を支える柱には観自在菩薩の像が彫刻されています。
毎春、雨季の前に1ヶ月間に渡って行われるマチェンドラナート祭では、真っ赤に塗られたラト・マチェンドラナートが巨大な山車に乗せられ、 パタンの町を練り歩きます。また12年に一度、山車はパタンから外に出て、5kmほど離れたブンガマティ村の寺院まで引かれます。ラト・マチェンドラナートは、 ここに半年間安置された後、山車に乗ってパタンへ戻ります。

マハボーダ寺院 Mahabouddha Temple

1564年〜1600年にかけて、インドのブッダガヤの大塔を真似て、建築職人のアヴァイ・ラージとその子孫によって建立されたもので、別名を三千仏寺院と言います。マハボーダ寺院には、高さ約30mの石の塔があり、そこには無数の仏像が彫られていますが、その数は「三千仏」よりはるかに多く、約9000あると言われています。また、この寺院の周辺は仏像職人・建築職人が古くから住んでいる地域ですので、周囲にはたくさんの仏像工房があります。

動物園 Zoo

パタン西部のジャワラケルにあります。ネパールの自然界に生息する動物、鳥、爬虫類を見ることが出来ます。この動物園のよいところは動物との距離が非常に近いことですが、あまり近づきすぎると危険ですので注意しましょう。また、象に乗ることもできます。中にある美しい池は17世紀にマッラ王朝のシッディ・ナルシン王により造られたものです。土曜日はネパール人の家族連れで相当な賑わいを見せます。


バクタプル BHAKTAPUR
■バクタプル ル
 バクタプルは889年にアナンダ・デヴ王によって築かれ、その後12世紀〜18世紀の間、首都のひとつとして栄えました。別名「バドガオン」(信仰の町)とも呼ばれており、カトマンズ・パタン同様カトマンズ盆地内の代表的な古都ですが、ネワール族の町の中ではこのバクタプルが一番中世の町並みをそのまま残しているといえます。喧騒のカトマンズに対し、田園地帯の小高い丘の上の、のんびりとした非常に静かな、人口22万人ほどの小さな町です。住民の8割以上がネワール族で、農業に従事している人がほとんどです。1934年の大地震で、数多くの寺院や僧院、民家が被害を受けましたが、1970年代以降、復興が進み、今でも世界に誇るネワール族のすばらしい建築物や彫刻を見ることができます。赤レンガ造りの町並みの中を散策していると中世の世界を歩いているような不思議な気分にさせられます。
晴れた日にはヒマラヤを望むことが出来ます。

■ダルバール広場 Durbar Square
旧王宮前にある広場で、旧王宮・寺院を中心にすばらしいネワール建築の数々を見ることができます。建物の多くは17〜18世紀のネワール美術の花開いたマッラ朝のものです。カトマンズ、パタンにもダルバール広場があり、皆すばらしいですが、このバクタプルのものが一番美しいとされています。広々とした広場は寺院やモニュメントに囲まれ、独特の雰囲気をかもし出しています。


■獅子門
広場の入り口にある門です。1696年のブパティンドラ・マッラ王の時代に建立されたもので、両側に大きな獅子の像があります。また、バイラブ(シヴァの化身)と、ウグラチャンディ(シヴァの妻)の石像も飾られています。

■旧王宮
 17世紀にヤクシャ・マッラ王により建立され、その後、代々のマッラ王によって増築されました。 ここには、かつては99ものチョークがあったといわれています。ネワール彫刻・建築の傑作の数々をここで目にすることができます。

ゴールデンゲート
1745年にランジット・マッラ王によって造られた、旧王宮への入り口の門です。門にはヒンドゥー教の神々が一面に飾られています。ここには衛兵が立っています。には、 ガルーダにまたがるカーリー女神、ヴィシュヌなどのヒンドゥーの神々の装飾細工が一面に施されています。芸術品としても高く評価されています。

マッラ王の石柱
 ゴールデンゲートの前には、ブパティンドラ・マッラ王(在位1696〜l722年)がお祈りをしている像が上に乗った石柱が立っています。ネパールの石像の中では最もすばらしいと言われる石像です。

55窓の宮殿 
 1427年にヤクシャ・マッラ王の統治期間に建てられ、17世紀にブパティンドラ・マッラ王によって再建された、3層の建物です。その名のとおり、入り口を含めると窓が55あります。ネパールでは他に例を見ない建築物です。それぞれの窓には緻密な彫刻が施されており、ネワール建築の傑作であると言われています。

ムル・チョーク 
 「ムル」とは「主要な」と言う意味で、王宮の中心的な建物であることを意味します。旧王宮の中で最も古い部分であると言われています。このチョークの中にはタレジュー女神を祀る寺院があるためにタレジュー・チョークとも呼ばれています。ムル・チョークのとなりにはクマリ・チョークと、王の沐浴場をもつスンダリ・チョークがあります。

美術館 
 かつてマラティ・チョークと呼ばれていましたが、現在は 美術館になっており、ネパールの仏像・ヒンドゥーの神々の像・タンカなどが多数展示されています。 


■パシュパティナート寺院 
 寺院の中ではバクタプル最古のものであるといわれており、1492年に建立されました。シヴァの化身のひとつであるパシュパティを祀っていますが、屋根の支柱にはチベット仏教の影響を受けたエロティックな彫刻が施されています。カトマンズにあるパシュパティナートを真似て造られたといわれています。


■バトサラ・ドゥルガ寺院
 1672年にジャガト・プラカーシュ・マッラ王により建立された、インドのシカラ様式の石造寺院です。


■バグバティ寺院
 シヴァを祀る寺院です。正面に作られた階段の両側には、下から 象、ライオン、牛のそれぞれ一対の石像があります。


トゥマディー広場 Taumadhi Square

ダルバールスクエアから細い小道でつながっています。カトマンズ盆地で一番高い寺院であるニャタポラ寺院を始め、17世紀〜18世紀に造られた寺院の数々があります。

■ニャタポラ寺院
 1702年にプパティンドラ・マッラ王により建立されたカトマンズ盆地で一番高い30mの寺院で、バクタプルの町の外からでも目にすることが出来ます。「ニャタポラ」とは、「五重の屋根」という意味で、この寺院は5段の基壇と五層の塔で成り立っています。石段の両側には下から順に伝説の戦士(ジャヤ・マッラとパッタ・マッラ)・象・獅子・グリフィン・女神の石像が守護神として1対ずつ置かれており、普通の人間の10倍の力を持つ、といわれる伝説の戦士から順に上に行くにつれて力がさらに10倍ずつアップするといわれています。この寺院の本尊は女神シッディ・ラクシュミであるといわれていますが、扉は釘付けされており、一度も開けられたことがありません。
1934年の大地震の際にも、この寺院は最小限の被害にとどまったため、建築技術の高さが評価されています。5段の基壇の上に立つと町を見渡すことが出来ます。

■バイラブナート寺院
 17世紀初め、ジャガット・ジョティ・マッラ王の時代に建てられ、その後1718年にブパティンドラ・マッラ王により増築されました。ヒンドゥー教の寺院で、本尊としてシヴァの化身であるバイラブが祀られています。1934年の大地震で大きな被害を受けたため、現在の建物はその後に再建されたものです。最初に建てられたときは1層、その後の増築で2層に、大地震後の再建で3層に造りかえられ、現在の姿になっています。
 

■マハーデヴ・ナラヤン寺院
 二重の屋根を持つヒンドゥー教の寺院で、本尊はヴィシュヌです。バクタプルで最も古い寺院の一つであると言われています。正面の高い柱の上にはガルーダの石像があります。あまり目立たない寺院ではありますが、ヒンドゥー教徒にとっては重要な寺院で、巡礼者が絶えません。


タチュパル広場 (ダッタトラヤ広場) Tachupal Square

14世紀に造られたバクタプルで最も古い広場です。かつては町の中心部で、最も重要な場所であったとされています。広場を囲む町並みは伝統的なネワール建築の建物が多く、窓の装飾を見ながら歩くのもまた楽しみのひとつです。

■ダッタトラヤ寺院
1427年にヤクシャ・マッラ王の統治時代に建立され、1458年にビシュワ・マッラ王により、改築されました。1本の木から彫りだされたといわれている寺院です。ヒンドゥー教の寺院で、 本尊はヴィシュヌの化身であるダッタトラヤです。 寺の正面には、柱があり、その上にはヴィシュヌの乗り物であるガルーダの像があります。 また、入り口には、伝説の戦士のジャヤ・マッラとパッタ・マッラの像が一対あります。ダッタトラヤはブッダのいとこであるとされるため、仏教徒にとっても重要な寺院で、ヒンドゥー教・仏教の両教徒が参拝します。この寺院はもともとただの休憩所として造られたものでしたが、1958年の改築以降重要な寺院になったといわれています。増築されて3層になった寺院はヒンドゥー教における三位一体の神をあらわすといわれています。

■ビムセン寺院
1605年〜1655年の間に建てられたといわれている、広場をはさんでダッタトラヤ寺院の向かいに建つ寺院です。本尊はビムセン、またの名をビマという「マハーバーラタ」に出てくる英雄です。ビムセンは職人や商人にとっての守護神でもあります。寺院の前にある柱の上にはライオンの像があります。また、裏手にはビムセン・ポカリと呼ばれるバクタプルで一番大きな水場があります。

■プジャリ・マート
今は木彫博物館になっている建物で、15世紀のヤクシャ・マッラ王の時代に造られ、1763年にラム・ダッタ・ギリという僧によって改築されました。かつてはヒンドゥー教の僧院として使われていましたが、今は木彫博物館になっています。この建物の外側にある孔雀の窓がネパール工芸美術の最高傑作として世界的に評価されています。羽をいっぱいに広げた孔雀の周りには小さな鳥が35羽、そのほかにも幾何学模様や悪魔、動物などが彫りこまれ、見るものを圧倒する美しさを誇っています。この建物には他にも美しい扉や窓があり、建物自体が美術品のようです。

■真鍮・青銅美術館
15世紀に建てられた建物で、木彫博物館の向かいにあります。カトマンズ盆地中から集められた神々の銅像、真鍮製品、インク壷、ランプ台、金属工芸品などが展示されています。


ポカラ POKARA

カトマンズより西へ200kmのところに,、ポカラはあります。「ポカラ」という地名はネパール語の「ポカリ」(湖)という言葉から来ており、その名の通りアンナプルナ氷河を水源とするペワ湖、ベグナス湖、ルパ湖の美しい湖を持つ町です。標高は海抜827mとカトマンズに比べると低いため、気候もカトマンズより温暖です。この標高の低い町のすぐ近くに8,000m級の山々がそびえているため(ペワ湖からマチャプチャレ【6,993m】はわずか28kmでその間には他の山はありません)、世界でもまれな景観を誇っています。低地にいながら目の前に迫るヒマラヤの山々を見ることが出来るのは、この町ならではの贅沢と言えるでしょう。トレッキングに出かける人々の拠点の町としてだけでなく、湖のほとりでヒマラヤの山々を眺め、リラックスできるリゾート地としても非常に人気のあるところです。
 ポカラはかつて、インドとチベットの間を結ぶ交易路の重要な町でした。現在でも車の入ることの出来ない山奥に物資を届けるためのロバの姿を町のはずれで見かけることがあります。


■サランコット Sarangkot

マチェンドラナート寺院の近くにある旧市街の中心地です。スパイスや野菜を売る人、牛、人、リキシャ・・と非常に賑やかな庶民の広場です。広場の端のほうにあるアンナプルナ寺院からは道行く人が鳴らす鐘の音がいつも聞こえます。市場は朝5時頃から8時頃まで立ちます。インドラチョークは中世の街並みをそのまま残す通りで、日用品やサリー、毛織物などの店が軒を連ねています。上を見上げると建物の窓の装飾がとても美しいことに気が付きます。マチェンドラナート寺院、ガネシュ寺院、アカシュ・バイラブ寺院、シヴァ寺院もここにあり、カトマンズの旧市街の雰囲気を味わうなら一度は訪れたいところです。


ペワ湖 Lake Phewa
ネパールで2番目に大きな湖で、ポカラの観光の中心地です。ボートをこいだり、ヒマラヤを眺めたりしながらゆったりとした時間をすごすことが出来るでしょう。湖の真ん中にはバラヒ寺院があり、ボートに乗って訪れることが出来ます。天気がよければ湖に映るヒマラヤの山々を楽しむことが出来ます。湖の東側はレイクサイド、またはバイダムといわれる場所で、人気のツーリストエリアとなっています。

バラヒ寺院
 ペワ湖の真ん中にぽっかりと浮かぶ小さな島の上にあるヒンドゥー寺院です。2層のパゴダ形式の寺院で、シャクティ(女性の力)の守護神であるアジマ神の化身とされる猪が祀られています。ここでは雄の動物を生贄に捧げることが特徴です。土曜日には参拝する人々で賑わいます。


セティーガンダキ Seti Gandaki

マヘンドラ・プルという橋から見ることが出来る、市街を縦断している川です。地表からは50mもの深さの峡谷となり、流れが激しいため、岩盤を削って流れています。幅が2〜5mしかないのですが、深さは20mもある川です。


パタレ・チャンゴ Patale Chhango

「パタレ・チャンゴ」とは「地獄の滝」という意味です。かつてトレッキングに来ていたデヴィッドというスイス人がこの場所で川に流されて、行方不明になってしまったために、デヴィズ・フォールとも言われています。湖から来ている川の水が地中を流れ、岩壁の大穴から滝となって流れ落ちる不思議な光景を目にすることが出来ます。自然の力のすごさを見せつけられるところです。


マヘンドラ・グッファ Mahendra Gupha

地元では「コウモリの家」と言われている鍾乳洞で、1950年ごろに羊飼いの少年が発見したと言われています。地元の人にとっては聖なる地とされています。今ではあまりコウモリもいませんし、鍾乳石はほとんど略奪されて少ししか残っていません。近くにあるチャメル・グッファではまだコウモリの姿を目にすることが出来ます。


オールドバザール Old Bazaar
山地の民族をはじめいろいろな民族の集まるポカラのバザールではカトマンズのバザールとはまた違った雰囲気を楽しめます。長く時間を取ってゆっくり見てまわりたいところです。衣類、化粧品、食料品、家具などが売られており、ネパール人の暮らしぶりを伺えるバザールといえます。

ビンドゥバシニ寺院
オールドバザールの丘の上にあるヒンドゥー寺院です。白いドーム上の構造と石畳の広い境内を誇っています。この寺院にはヴィシュヌやクリシュナも祀っていますが、本尊はドゥルガ(女神)です。毎朝ここでは生贄のヤギや鶏の首がはねられます。


ポカラ博物館 Pokhara Museum

西ネパールの人々(グルン・タカリー・タルーなど)の歴史と生活・文化がよく分かる展示を見ることが出来る博物館です。注目すべきは、ムスタンに関する展示です。民族やムスタンに興味のある方は是非お立ち寄りください。オールドバザールの近くにあります。



アンナプルナ博物館(自然史博物館) Natural History Museum

プリティビ・ナラヤナン・キャンパスの敷地内にある小さな博物館です。アンナプルナに生息する野生の動物、蝶、鳥、昆虫などの標本や剥製が展示されています。特に蝶に関しては展示が豊富です。


ベグナス湖とルパ湖 Lake Begnas and Rupakot

ポカラの町から15kmほど離れたところにこの二つの湖はあります。ペワ湖に比べ人も少なく、のんびりするのには最適でしょう。ここでもボートに乗ったり、釣りをしたりできます。二つの湖の間にあるパチバイヤの丘には30分ほどで登ることができます。また、ここは自然の豊富なところですので、渡り鳥の姿を見ることもあります。


タシリン・チベット村 Tashiling Tibetan Refugee Camp
チベット動乱の時に、ネパールへ逃れてきた難民が、スイス政府と赤十字の協力を得て1961年につくったところです。チベット独特の生活習慣が残されています。
観光客相手に宝石類やアンモナイトの化石、カーペットなどを売っていますので、チベットに興味のある方は行ってみるとよいでしょう。ただし、ここでの買い物も値段を交渉することを忘れないようにしてください


 2001年2月下旬に、「稲作民俗の源流―日本・インドネシアー」

として出版。

題名『稲作民俗の源流―日本・インドネシアー』
上記本の写真と内容 詳細は左をクリック!

タイトル  稲作民俗の源流 〜日本・インドネシア〜
       ISBN4-89259-374-5 C0039 
初版発行 2001年2月20日
発行者 黒川美富子
発行所 文理閣 図書出版
      〒600−8146 京都市下京区七条河原町西南角
      TEL 075−351−7553 FAX 075−351−7560
      E−mail  bunri@mbox.kyoto-inet.or.jp
 定価  5000円+税

          『京都新聞』『朝日新聞』上記本の紹介記事  左をクリックして下さい!


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下記のホームページで紹介されました。
「歴史全般リンク集」 http://www2m.biglobe.ne.jp/~Accord/KENSAKU/v13f-new.htm
「朝日ネット」 http://www.asahi-net.or.jp/~tq7k-wtnb/min-001.htm
「TRC図書館流通センター」 http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=01011874
「アマゾン」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4892593745/qid%3D989599708/249-6037261-0581962


 発行者:小泉芳孝(日本民俗学・郷土史家) kyoto japan
   「竹取物語研究」竹取の翁・かぐや姫 から発信しています。 

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