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 京 の 住 人 た よ り http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/
  このページは「京の住人たより」から了解をえて作成させて頂きました。
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■ もくじ                              
 1.、キャンパスに残る文化財、同志社
 2、・新島襄と旧宅

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キャンパスに残る文化財、同志社        Vol.36   (01/05/06)
 
京都御苑の北側に広がる同志社大学、中学校、同志社女子大学ですが、そのキャンパスには国の
重要文化財に指定されている
煉瓦造り建物が幾つかあります。
同志社と云えば新島襄がキリスト教精神に基づき建学した私学として知られています。その新島襄が
過ごした自宅は京都御苑の東側の丸太町通に近い寺町通に面してあり、こちらは京都市有形文化財に
指定されています。
 同志社大学キャンパス正門を入ると、良心碑があります。「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン
事ヲ」との新島襄の言葉が刻まれています。良心碑の西側に有終館、北に進んでクラーク記念館、
ひとつ建物があってハリス理化学館、続いて礼拝堂、彰栄館と重要文化財の煉瓦造りの建築物が
並びます。
 有終館は明治20年(1887)、レンガ造りの図書館として建築されています。当時は日本最大の学校
図書館だったとか。
所々に黒く焼き上げたレンガが使われており、洗練されたアクセントになっています。なお、それ以外
にも煤けた壁面が見られるのですが、これは昭和天皇の即位式典の際の出火で煤けた跡だそうです。
内部は焼失しており、そして即位式典中の失態だと云うことで、取り壊しの論議もあったそうですが、
武田五一によって外壁保存が行われ今に残ります。
 クラーク記念館は同志社のシンボルとも云える建物です。設計はR.SEELで、アメリカのクラーク夫妻
の亡き息子のメモリアルホールを造ってほしい、との願いで明治26年(1893)に竣工した建物です。
なお、あの有名な「少年よ大志を抱け」のクラーク博士とは全く関係はないそうです。
 ハリス理化学館は明治23年(1890)年竣工のレンガ造り、アメリカの実業家J.N.ハリスの寄付により
建てられました。
設計はフランス人のA.N.ハンセルでクラーク記念館がドイツゴジックを基調とするのに対してイギリス
様式の建物です。
 有終館はアメリカンスタイル、クラーク記念館はゴジック様式、ハリス理化学館はイギリス様式と、
レンガの積み方ひとつとっても特徴、違いが見て取れます。ちなみにレンガの積み方には三つある
そうです。長手積み、イギリス積み、そしてフランス積み、長手積みは単純に半分の寸法づつをづらして
上部に重ねていく積み方、イギリス積みは一段目は小口のレンガ、二段目はその倍の長さのレンガを
上部にづらして積んでいく方法、フランス積みは同じ段の中にも小口レンガと大きいレンガを交互に
入れながら、上部にづらせて積み上げる方法
だそうです。
 礼拝堂は彰栄館と同じくD.C.グリーンの設計で、綺麗なアメリカンゴジック様式ですが、内部は
日本人大工の手による木組みだそうです。
レンガ造りのプロテスタント礼拝堂としては日本最古の建物です。
 最後に彰栄館、明治17年(1884)竣工の建物で京都市内に現存する最古のレンガ造り建物です。
外観はアメリカンゴジックですが、内部は真壁の間仕切りがある和風になっています。なお、塔の
頂部にはめ込まれている時計自体も重要文化財だそうです。
 このキャンパスに残る重要文化財ですが、クラーク記念館を除き現在も学校施設として日常的に
使われている建物です。
京都には明治、大正期の洋館が減少傾向とはいえ数多く残っています。これら近代建築もおりを
みて紹介していこうと思います。
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新島襄旧宅                  Vol.38   (01/05/19)

 「キャンパスに残る文化財、同志社」の話題に続いて、同志社の創始者である新島襄にスポットを
当ててみたいと思います。
 新島襄は天保14年(1843)に江戸は神田の安中藩邸で生まれます。安中藩は上野国、今の群馬県
にあった藩です。今は群馬県安中市となっていますが、そこにも新島襄の旧宅が残っているそうです。
新島は安中藩で漢書、蘭学などの学問に励み、また幕府の軍艦教授所に通い航海術なども修得
します。
そんな折り、元治元年(1864)、脱藩しアメリカに留学。
慶応2年(1866)、アンドーヴァー神学校付属教会で洗礼を受け、キリスト教徒となります。
時代は移り変わり、日本では明治を迎えます。学校令を公布したことで知られる森有礼、その有礼駐米
大使の斡旋で日本への帰国も認められ、岩倉具視遣外使節に随行するなどして各国の教育制度を
視察します。日本へ帰って来るのは明治7年(1874)のこと。
翌、明治8年(1875)、京都府顧問だった山本覚馬の勧めで同志社英学校を設立、同志社の歴史は
ここに始まります。
京都の新島襄の旧宅はこの同志社英学校があった場所だそうです。
ちなみに今の同志社今出川キャンパスは薩摩藩邸跡です。
新島がこの旧宅に住んだのは、明治11年(1878)から永眠する明治23年(1890)までの約11年間。
木造2階建て、数寄屋根、瓦葺き、外観は洋風建築。でも一歩中に入ると不思議な空間が広がります。
壁は柱を露出させる和風な真壁造り、襖、障子の仕切があるかと思えば、一方、暖炉があったり
テーブルに椅子の応接間があったり、ベットが置かれていたりの和洋折衷です。
建物の周りはバルコニーが囲む洋風スタイルが見て取れ、明治と云う時代の斬新な生活様式だった
に違いないと思います。

現在は昭和60年(1985)に京都市の有形文化財に指定されており、3月〜7月、9月〜11月の水、
土曜日(祝日は除く)と御所の一般公開日に合わせてこの新島襄旧宅も一般公開されています。

新島襄が眠る地は哲学の道の南外れ、若王子神社脇から山道を登ること20分の若王子山山頂に
あります。
葬儀は明治23年1月27日、翌24年には勝海舟の筆による碑銘を刻んだ墓碑が建てられます。
その後事故によりその墓碑は失われ、現在の墓碑は新島襄ゆかりの地でもあるアメリカのヴァモンド
州ラットランド産の花崗岩のもの。旧墓碑から写し取りその名も刻まれています。
この地は京都市の共葬墓地ですが、同志社ゆかりの故人、そしてキリスト教徒の墓が多くみられます。

おわり

同志社大学の歩み

1843(天保14)年 上州安中藩江戸屋敷で新島襄誕生
1870(明治3)年  アーモスト大学卒業。
1875(明治8)年  官許同志社英学校開校。京都府知事槇村正直の賛同を得。
            上京寺町通丸太町上ル松蔭町18番地を借りた校舎。教員は新島襄とJ.D.デイヴィス。生徒8人。
1876(明治9)年  9月 今出川校地へ移る。
1877(明治10)年 4月 同志社分校女紅場を開設。
1890(明治23)年 1月23日 新島襄永眠。東山若王子山頂に葬る。
1948(昭和23)年 4月 新制大学開校。神・文・法・経済学部が開設。
1986(昭和61)年 4月 田辺校地開校。4月から全学部第1部1・2年次生の授業開始。
               文学研究科社会福祉学専攻博士課程(後期課程)、国文学専攻博士課程(後期課程)開設。
            5月 女子大学短期大学部開校。
1994(平成6)年  3月 田辺校地理化学館ほか11棟(工学部棟)および紫苑館、恵道館竣工。
            4月 工学部知識工学科、機能分子工学科、物質化学工学科を新設。
               機械工学科を機械システム工学科に、機械工学第二学科をエネルギー機械工学科に学科名変更。
               工学部および工学研究科、理工学研究所を田辺校地に統合移転。


■ もくじ
 『特別寄稿』 @、関西の私大名門・同志社大学  
   
 世界に向け躍進する同志社大学
     同志社大学京田辺キャンパス


世界に向け躍進する同志社大学
 立命館の猛追にあえぐ、眠れる伝統校。だが、本当は早慶上智なんて呼称じゃなく早慶同と言ってもいいほどの名門大学だ。素晴らしい伝統があり、関西には有力OBが多いので、今の受験生にとっては超オトクな大学といえる。少なくとも就職で立命館に劣るということはない。ミッション系なのにバンカラな校風がたまらん。地名ではなく「同志が集う」という校名も素晴らしい。
★立地・設備
 現在は1・2回生が京田辺キャンパスで、3・4回生が過ごす本部の今出川キャンパスは京都御所の隣にあります。今出川キャンパスは、重要文化財の赤レンガ建築が建ち並ぶ校舎がありここに行くとキャンパスの美しさと恵まれた立地に目を奪われます。1・2年がすごす田園都市の京田辺キャンパスは同志社の凋落に多大な貢献をしたが、学内設備は実にゆったりとしていて良い。工学部だけがここに4年間過ごす。現在先端技術会社からの寄付により正門前に立派な校舎が建設された。どちらのキャンパスにも同志社女子大が隣接している。また、特に京田辺キャンパスには、同志社国際高校が併設されていて京阪奈学術研究都市にふさわしいたたづまいとなっている。
 このほか同志社は、幼小中高大学と一貫した教育方針のもとで教育が進められていて、全国の私立大学の先頭に立っている。

同志社大学京田辺キャンパス   〒610-0394 京都府京田辺市多々羅都谷1-3
 同志社大学京田辺キャンパスは、伝統に培われた風格のある今出川キャンパスの継承し、自然環境に留意して1986年に開校されました。現在は、文科系学部の1,2年次生と、工学部・大学院工学研究科全学生の約12、000人の学生が学んでいます。東西1、200m、南北800mの敷地があり総面積79万m2(隣接の同志社女子大・国際中高を含めると100万m2)ある。
 正門正面にラーネッド記念図書館があり、その西に特別教室棟や食堂それに福利厚生施設などある。
学生が共通に使用する施設群を中央軸に、南に事務管理棟・教室棟・学生の文化活動のためのボックス棟が、北には研究棟・工学部棟群・キリスト教文化センターなどがある。
 校地の西には、スポーツが可能な広々とした体育施設が配置され総合体育館や体育研究室棟がある。南には合宿棟・ボックス棟やテニスコート、北に硬式野球場やゴルフ練習場がある。西端は陸上競技場と各種グラウンドがある。
 キャンパスの出入口は、正面・北門・南門・西門の4か所あり。女子大学校地内に全同志社共用の礼拝堂、新島記念講堂がある。
路線バスは、近鉄「新田辺」からの便もあるが、近鉄京都線「三山木駅」とJR学研都市線「JR三山木駅」からの方が近くて便利である。
現在の三山木駅は、区画整理事業の完成に伴って橋上駅となり、さらに近々三山木駅前に大きなバスターミナルが出来て大学までのアクセスが充実します。それと共に京都・奈良・大阪へ30分という距離にあることから大変便利な通学駅ともなる。


『特別寄稿』A関西の私大名門・同志社大学
 
   同志社大学の情報 京田辺キャンパス
    
京都の同大が「同志社小学校開設
    
同志社大学の特徴
    
大学の街、三山木周辺の街づくり構想について


同志社大学の情報 Information of the Doshisha university 
 京田辺キャンパス KYO-TANABE Campus 


創立者、新島襄は、キリスト教主義にもとずく知徳平行教育を強調。名誉欲や利害だけでは駄目とした。
新島は,キリスト教主義にもとずく知徳平行教育を強調。知識のみに片寄った教育を受けたものは,己の名誉欲や利害だけで働く利己的な人間になりがちだ、と新島は考えた
。他人の不幸や迷惑を顧みないというのだ。キリスト教の教えにもとずく徳育を新島が強調したのは、知識教育の片寄りを正すためであった。明治初期の日本において、彼
は抜群の国際人であった。そうあらしめたのは、10年におよぶ外国人社会での生活体験と、キリストの教えに忠実だったことによる・・。               
 新島と共に同志社をつくった人J.D.デイビスは、死に臨んで、”My Life is My Message”(私の生涯が私の遺言です)。この言葉は、田辺校地の
デイビス記念館のロビーに刻まれている。また、キャンパスの正門を入ったところにある同志社の大学教育のシンボルとなる石碑。「良心之全身二充満シタル丈夫ノ起り来
ラン事ヲ」という新島襄のメッセージが刻まれている・・。                                              
ラーネット記念図書館: 初代学長をつとめたD.Wラーネッドを記念する図書館。正面玄関上に刻まれた”Learn to Live and Live to Learn”(生
きるために学ぼう、そして学ぶために生きよう)は彼の愛誦句。                                     
デイビィス記念館: 新島襄の片腕となって同志社英学校の設立に貢献したJ.D.デイビィスを記念する総合体育館兼講堂。”My Life is Message”(
私の生涯が私の遺言です)の言葉が正面ロビーに掲げられている。                                      
新島記念講堂(礼拝堂):全同志社共同の礼拝堂として女子大校地内に1988年9月に竣工した。多目的に使用できる設備を整えている。
理化学館 正面玄関上に、J.N.ハリスの言葉も”SEEK THROUGH YOUR VACATION TO SERVE GOD AND HUMANITY”(
天職による神と人類への献身)の言葉が刻まれている。

京都の同大が「同志社小学校開設
 学校法人同志社理事会、評議員会で、「同志社小学校(仮称)」の開設が決定した。
 1875年に同志社英学校を創設した新島襄の「基督主義ノ学校ハ幼稚園ヨリ大学ニ至ル迄実ニ必要ノモノト信スレドモ、当時我輩ノ力尚微々タリ、尽ク之ニ着手シ得サルベ
シ」の遺志により、2006年4月に開校されます。
 創立 125周年を契機に、小学校設立を検討し「私学」同志社の特色ある教育理念に基づく初等教育から大学までの一貫教育を目指すべく同志社全学園の総力をあげた大事
業です。
同志社設立の理念である「国際主義」教育を実践するため、英語を取り入れた教育など、知育、徳育、体育のバランスのとれた教育を目指されています。

同志社大学の特徴
 立命館の猛追にあえぐ、眠れる伝統校。だが、本当は早慶上智なんて呼称じゃなく早慶同と言ってもいいほどの名門大学だ。素晴らしい伝統があり、関西には有力OBが多いので、今の受験生にとっては超オトクな大学といえる。少なくとも就職で立命館に劣るということはない。ミッション系なのにバンカラな校風がたまらん。地名ではなく「同志が集う」という校名も素晴らしい。
★立地・設備
 本部の3・4回生が過ごす今出川キャンパスは京都御所の隣。重要文化財の赤レンガ建築が建ち並ぶ。ここに行くとキャンパスの美しさと恵まれた立地に目を奪われる。1・2年がすごす田園都市の京田辺キャンパスは同志社の凋落に多大な貢献をしたが、学内設備は実に良い。工学部だけここに4年間過ごす。現在先端技術会社からの寄付により正門前に立派な校舎が建設中である。どちらのキャンパスにも同志社女子大が隣接している。
★研究・教育
神学部…この大学の魅力は、ミッション系なのに京都の持つ得体の知れない力があるところ。神学部は多くの一般学生に関係はないものの、同志社のアイデンティティーの源。
文学部…ミッション系らしく看板。ただ、社会学、社会福祉、新聞学、産業関係学の4専攻を持ち、本来なら学部に昇格できるほどの規模の社会学科を内包していたり、哲学、教育、心理、美学及び芸術、文化史、国文学を全部文化学科にひっくるめたりしている。
法学部…真の看板学部。卒業生の1割が大学院に進学、4年間今出川で過ごせるコースがある、立命館の法学部よりもはるかに司法試験合格者が多いなど魅力満載にも関わらず、広報の宣伝下手が裏目に出ているが多くの法曹界に就職している。
経済学部…関西経済界の重鎮。ただ、関西は伝統的に京大、阪大、神大の経済という大きな壁がある、しかし関西経済界に籍を置く経営者が多く絶大な威力を発揮している。就職には困らない学部。
商学部…経済学部が放棄したマルクス経済学をいまだに教えている、金融、貿易に関する科目が多く、実学を学べる。関西で就職するには悪くない学部だろう。公認会計士の分野では立命館など足元にも及ばず、京大すら圧倒していて関西ではナンバーワン。しかし「遊びましょう」という商学部らしい?噂がある。
工学部…医学部がないだけに理系は光っている。京田辺移転で拡充され立派な設備が整えられた。理工学部に改組しなかったのが悔やまれる。スパルタ教育で一単位でも落とすと4年間の内に単位が取れない為に留年組みが続出している。注意が必要である。
大学院…総合政策科学研究科、アメリカ研究科という独立大学院を持つが、誰も知らない。
★学生活動
 サークルは結構ある。田辺の部室棟の汚れ方は関西随一であるらしい、学生の活発さが表現されていて素晴らしい。でも今出川のボロボロの別館は新町校舎の学生会館に建て直されてしまった。大学紛争当時には、学生会館は赤ヘルのアジとであった。現在の学生は誰も知らないけれど。学園祭「同志社EVE」は模擬店ばかりで文化系サークルの参加が少なく、アカデミックさに欠ける。立命館以上に活気のない大学になっていることはほぼ間違いない。残念である。
★就職
 おそらくOBだらけの関西では無敵。しかし自分が何がやりたいかが重要である。大学の名前に頼りすぎると駄目。


大学の街、三山木周辺の街づくり構想について

 京阪奈学術研究都市の”北の表玄関”としての三山木周辺は、将来において京田辺市で一番発展する場所でもあるだけに不動産業者の注目を集めている所でもあります。まもなく、三山木駅東方の同志社大学南方に広大な「同志社団地」が出来ることになっており山手幹線道路と共に都市開発が急ピッチで進められております。
 この「同志社団地」が完成しますと近鉄京都線の三山木駅とJR学研都市線(旧片町線)JR三山木駅の両駅は、乗降客も増え京都府南部における主要駅となります。
 また同志社大学では、京田辺キャンパスの薬学部設置に伴って近い将来であるが医学部増設という大規模な計画もあるようで京都府南部の学術研究都市の将来計画が楽しみです。このため不動産業者らにより京都府下で今一番注目されている地域となっています。そのためにも21世紀のこれからの街づくり構想が全国から注目されている地域でもあります。最近では、外国からの視察団が京田辺市へ訪れるなど、大学のある田園都市としての古い歴史ある街づくり拠点として注目されています。


同志社大学・女子大学
   (田辺キャンパス)情報
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今出川キャンパス(京都市上京区)
京田辺キャンパス(京田辺市)

京田辺通学路詳細地図


同志社大学・同志社女子大学(京田辺キャンパス)http://www.doshisha.ac.jp/
◎所在地
 京田辺市多々羅都谷1-3
◎主要アクセス
JR学研都市線で「JR三山木駅」下車、バス5分 徒歩10分
近鉄京都線「三山木駅」下車、バス5分 徒歩10分
JR学研都市線「同志社前駅」下車、徒歩10分
近鉄京都線「興戸駅」下車、徒歩15分
近鉄京都線「新田辺駅」下車、バス10分 
地域情報
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■近鉄京都線「三山木駅」とJR学研都市線(片町線)「JR三山木駅」の周辺ガイド

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『竹取物語』研究所(竹取の翁・かぐや姫)小泉芳孝
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